1日雑記

2007年03月26日(月)

なんとなく、漠然と思ったのだけど。

時々、主はお許しになられました、とか
そんなフレーズを聞くことがある。

色々なことを許せる主はすごいというか
心が広いというか
まぁ、評価は色々あるのだろうけれど。

改めて考えると、許すってそんなにすごい事なのだろうか?
しかも、自分が当事者じゃないケースで。

つまり、怒りって言うのは被害者なり、
当事者であるほどその度合いは大きい。
この場合、主というのは当事者ではない。

仮に主でなくても
自分にまったく関係のない事柄なら
人って結構許せるんじゃないだろうか?
それが、今後絶対、
自分に関係のない事柄だと分かっていればなおさら。

時々、テレビなんかでやってる殺人事件で
犯人に対して怒りを覚える事はあると思う。
当事者じゃなくても怒りは覚えるわけだ。
しかし、その何割かは自分が当事者であったらと
仮定して、共感した事による怒りなんじゃなかろうか?

そのため、どんなニュースでも次第に風化していく。
マスコミも取り上げなくなるし。
再度裁判なんかで、取り上げられたりすると
あんな事もあったなぁ、と他人事になってしまう人も多いのでは。
再度怒りがこみ上げてくる人も当然いると思うが
それは前と同じだけの怒りだろうか?

もう少し言えば、裁判というのは常に客観的に行われている。
懲役何年ということがあるが
言い方を代えればそれだけの年月で罪を償えば
許してあげると言っているのと同義では?

そういう裁判にあって、許されないケースというのはあまりない。
死刑なんかは許されないからあるのかもしれないが
死刑のない国というのも普通に存在しているわけで。
……終身刑って出られるんだっけ?外に。

まぁ、つまり。
許すという行為は、主ならではというには少し寂しいのではないか、と。
人間を超越した解を出すなら
被害者、加害者の当事者になった上で話をすすめるとか
代わりに時間を戻すとか
壊れたものを元に戻すとか
無かった事にするとか
色々あるんじゃないのかなぁ。


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