1日雑記

2006年11月02日(木)


取りとめもなく、書き
ついでに言うと少し思考がずれている。
この日記はフィクションであり――以下略。

境界線が見えた。
気がしただけだろうけど。

多分、空想と現実の境界。

道を歩いていた。
人が沢山いた。
それらの人を人として認識していない事に気づいた。
概念的にも、定義的にも、気分的にも
道行くのは人だという事が分かっているのに
ふと、すれ違った時に彼らが人である事に改めて気づく。
気づいたのだから、その前は気づいていなかったのだろう。

正直なところ、それが物であっても人であっても
その時それははたいした違いではなかった。
どちらもただの障害物である。

その後、駅のホームを歩いていると、線が見えた気がした。
なんとなく、それが空想(妄想でもいいけど)と現実との
境界なんだなぁ、と理解する。


本を読んでいた。
本の中の登場人物は私の頭の中で実在(?)している。
あるいは生きている。
道ですれ違う人は、それが人と呼ばれるものと
定義されていようがいまいが、私にとっては関係なかった。

思考という限られた空間の中で、
どちらが真実であるのか。

すれ違う人は確かに現実。
本の人物は架空の人間である。(少なくとも今日の本は)

伝記などの人物は実在した。
その人物と創作小説の主人公。
どれほどの差があるのか。

実在したか、否か。
明確な差である一方、それが人一人の脳ミソの中の処理として
どれほど重要であるかと考えた時
あまり重要で無い気がするのだ。

実在していようが居まいが、
情報として記憶している事には変わりない。
違う見方をするなら本という扱いでもいい。

記録媒体として、どちらも紙にインクを用いて書かれている。
書かれている内容は違えど、『紙とインク』という視点から言えば
どちらも『紙とインク』でしかない。
インクの量や紙質は違うかもしれないが、
相違点はそれであって、どちらも紙とインクである。
するとこの2つは等価になる。

それが現実だからこそ価値があるというのは
人の判断である。
故にそれは視点、価値観の違いである。

現実という時間も、一秒後には情報として脳に蓄積される。
仮想という環境も、脳に蓄積される情報でしかない。
価値を決めるのは当人であり、
どちらが重要であるのかは他人が決めるものではない。

と、線が見えた気がしたらそんなことを考えるに至った。
当の私はまだ現実を重視している。
が、街を歩いていて、道行く人を人として
あるいは現実としてしっかり認識していなかった事に気づいた時
もしかしてマズイところに居るんじゃないかと考えた。

多分あの線越えたら、壊れちゃうんだろうなぁ。
私自身は変わらなくても、
世間的に私は壊れたと認識されるんだろうなぁ。

さて、最後にもう一度。
フィクションです。


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