常々思うのだが。 価値観とは人それぞれである。
と、まぁ事実だし、よく言われる。 しかしのところ。 にもかかわらず普段の言動の中にはあまり盛り込まれない。
例えば、社会人1年目の先輩が 来年入社する予定の大学生に何を言うだろう? 「大学の時間のあるときに、旅行に行ったほうがいいよ」
必ずではないが、どっかでやっぱり聞く台詞。 さて、これは事実であろうか?
自由な時間が多いという意味の上、 社会人ではなかなか時間が取れない。 故に時間のあるときに旅行(遊び)に行ったほうが良い。 それはそれとして事実なのかもしれないが……。
価値観は人それぞれだと考えるなら 別に旅行に行かなくたっていいだろう。
旅行に行きたいという気持ちは社会人1年目の人間の感想であり その人の幸せが普遍的なものであるとはいえないのだから。 もう少し言えば今までにはない忙しさ、 そういう環境が旅行へ行きたいという思いを強くしているのかも。 要するに環境次第で欲求は変わるのだから 自分の環境があたかも万人共通の思いであるかのように語るのは 間違っている……とは言わないまでも それぞれの価値観を無視した意見であるといわざるを得ない。
旅行そのものに対して否定的な意見なのではない。 時間がなくなるというのも事実だし 旅行に行く事で視野が広がる可能性もあるのだ。 ……もっとも、何もない可能性もあるけれど。
ただ、旅に出るだけだと多分あまり変わらないだろう。 価値観が変わる主な要因は人と接する事だから。
そうして得られた価値観さえも新しい環境の中で 書き換えられていく可能性は十分にある。 それでも、経験する事としない事では その後にいくらかの差が生じるとは思うが。
しかし、と。 どんな価値観が重要であるかはともかくとして 社会人として学生に諭す人間の姿を見ていると時々切なくなる。 先輩としての側面と、それ以外の側面。 同じ社会人として生きる以上、それ以外の側面を多く見るのだから。 彼らにとって重要だと思える価値観、 それが彼らに与えたものは何なのか。
些細な愚痴を会話のきっかけとした日常の積み重ね。
希望や要望が全て叶った後、 それらが人をどの程度立派にするのだろう?
繰り返される色々な人の人生はどこか似通ったところがある。 同じように先輩として諭し、 諭された後輩は、その後輩に更に諭す。
そうして生まれる流れの中で 幸せそうに見える人のなんと少ないことか。 ……まぁ、あまり幸せそうに見えないだけで 本当は幸せなのかな。 殺伐とした幸せという言葉が頭をよぎる。
『何もしない』というのは時間に対する選択肢である。 と、キレイにまとめたところで 今日、何もしていない私への言い訳完了(笑
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