表現手段は時として表現手段でなくなることがある……
と、言ってみたのだがさて?
例えば絵画を描く画家の人。 絵というのは表現手段の1つだと思っている。 実際、1つの絵の解釈がいくつもに分かれる。 それはそれとして、個人で解釈して 何かを得られればそれで良いと思う。
例えば歌を歌う歌手の人。 作曲する作曲家でもいいけど。 多分、表現手段の1つなのだろう。 それに感動する人もいるだろうし それから何かを感じ取る人もいるんじゃなかろうか。
ところで、彼らにも生活があります。 現代社会でまったくお金と無縁に生きることはできません。
ここで1つの疑問点。 表現したいことって、そんなに頻繁に本当にあるでしょうか?
私の場合、日記を書くのにも 話を書くのにもネタに困ることって結構あります。 続ければ続けるほどに。
半ば義務感のように書き上げることも。
が、これは趣味というか、そういうものなので 正直やめてしまっても問題ないんですよね。 楽しいのでやめませんけど。
しかし、生活がかかっている場合と言うのはどうなのでしょうか?
継続して主張(表現したいこと)を『作り上げて』 いかなければならないのではないでしょうかね? と、そんなことを考えると 純粋な芸術ってなんだろうなぁと思ったりもします。
まぁ、逆の考え方もあるんでしょうけど。 仕事という形の中で何かを伝えようとする、とかね。
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