人生をレールにたとえることがしばしばある。
ふと思った。 レールは基本的に一本道である。 分岐点もあるが、レールと聞けば まっすぐに続くあれを思い浮かべる。
運命なんて言葉もあるし 逆に運命という言葉を使って 道は決まりきっていないという人も居る。
私も別に運命とかそういうのはどうでもいいのだけど 過去を見ると1本の道しかない。 他の可能性なんてものを考えると 色々あるのかもしれないけれど 現実として一本である。
あの時、確率では50%だった。 もしもこういう結果でなければ―― と、そういうケースを思い浮かべようとしたとき 世の中に確率なんてものが本当に存在するのかと少し疑問に思う。
サイコロを振る。 1が出る確率は6分の1だ。 1が続けて出る可能性は36分の1。 理屈としては存在するのだが 実際、どの目がでるかは決まっている。
サイコロの持ち方、振り方、降る場所、気温、湿度…… いくつもの要素が複雑に絡み合い 予測は非常に難しいが、結果は必然である。
箱の中に入っている白と赤のボール。 見えないようにして手を突っ込んでとったとき ボールが1つずつなら2分の1。 でも、手の入れ方や大きさや設置した瞬間から箱の大きさまで 様々な要素の結果。 手の入れ方にしたって経験などから無意識に決定されるだけであって その人が起こす行動は決まっているといっていい。 ボールの色が赤白反転するわけでもないし―― いや、仮に反転するようなボールであっても その反転速度や手の引き出し速度など それらの要素をあわせれやっぱり必然である。
見えない、見えづらい決定事項を確率といってしまえばそれまでだが 何かを計算しろといわれたときに 「私には分かりませんから(解けませんから) 答えは変動します」 なんて学校で答えたら先生に怒られる。 でもこれはサイコロに比べれば ただ、複雑でないというだけであって サイコロも単純な計算も決まった答えが存在しているわけだ。
物事は起こるべくして起こっているだけで 結局すべて決まった結果でしかないのかもしれないな、と そんな風に考えると、この先ずっと道が決まっているというのも あながち間違いじゃないのかもしれないなぁ。
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