1日雑記

2004年09月11日(土)


在る、という事。
居る、という事。

それが一体どういう事なのか。
人間の存在やら……
例えばデカルトは『我思う故に我在り』といったり
哲学者が色々考えているかもしれません。

そういう難しい話ではなく、
存在するという事がどういう事なのか。
純粋にそのことについて考えてみました。

さて……まず、目の前に人が立っているとしましょう。
『そこに人は居ます。』
何故そこに居ると判断したのかといえば
五感により、感じているからです。

この場合、恐らく視覚で判断しているでしょう。
仮に目を瞑っていても
前に歩くとぶつかります。
そうすれば触覚によりそこに人が居ると気づく事ができるでしょう。
あるいは何か香水の類をつけていれば
嗅覚でも判断できるかもしれませんし、
話し声が聞こえれば聴覚で判断できるでしょう。

逆に言えば、人はただ、五感により
そこに存在していると判断しているだけにすぎないのです。

もっとはっきり言えば、そこに存在していなくても
五感が感じ取れば存在していることになるわけです。

……そんな事はありえないでしょうか?

でも実際に機械の手袋をはめて
画面上の物体に『擬似的』に触れるような装置は
かなり前から存在しています。
これは触覚という感覚……
つまり、この場合で言えば
手に感じる抵抗を機械が表現したにすぎないのです。

では、それは存在しているといえるでしょうか?
恐らく、100人いたら100人が
実際には存在していないというでしょう。

そう、画面の中で視覚として
その物体をとらえていながら、
尚且つ、触覚を感じていながらも
それはあくまでヴァーチャルリアリティなのです。


ここで、一つの境界線がひかれています。


……さて、
仮に、この大気の中になにか小さな物質が
いつの間にか満たされているとするわけです。

目に見えないもの。

それは、錬金術が出来る不思議な物質です。
水素に中性子と電子を付与することで
自由自在な元素を生成するわけです。
それは、大気中の粒子を
自在にあつめてくることのできる不思議な物質でした。

その物質とは実は遠隔で命令を察知し
指定された元素に水素や酸素を変化させます。
それはコンピュータによって制御されているものでした。


そして、ここに一人の人間がいました。
彼は、突然人にぶつかったと感じました。
肩と肩がぶつかる。
彼はその接触した感覚からそう判断するに至ったわけです。
ところが、そこを見ても誰も居ない。

例えば、肩の部分に擬似的な抵抗を加えてやれば
このように錯覚するわけです。

錯覚といいましたが……
つまりのところ、五感全てを錯覚させる事が出来たとき
この世界の何を実際のものとして信用したらいいのか、という事です。

もう少し違う言い方をすれば……
ヴァーチャルリアルと現実の境界線を何所に設定すればよくなるか、
という事です。

あくまで未来予想図でしかありませんが。
まぁ可能性の問題なんですけどね。


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