何となく唐突に……共食いについて考えてみた。
共食い。 同種を食する、という事で一般的に忌み嫌われている。 少なくとも私はこの言葉を侮蔑以外に用いる人をあまり見ない。 (もちろん本来の意味で使う人は居るが)
ところが考えてみるとこれほど効率的、 合理的なシステムも珍しい。 消費者が減り、食料が増えるのだ。
経済で考えれば需要・供給曲線で バランスの崩れたものを立て直す。 需要を減らし、供給を増やすということを 誰の目にも明らかに行っている。
種の保存という観点から考えても 強者が生き延びることは種の存続に深く影響するだろう。
もちろん、人に当てはめてしまうと 人肉を食するという行為は許されていない。 私だってそんな事はしたくないし、考えたくもない。
もっとも、倫理なんてものは他人の作ったレールだし、 人類の不変的な共通概念という 曖昧なもので定義されているような気すらする。 そんなものに左右される必要なんてないのではないか? ……と、そんな事も考えるだけは考える。 共感はしないけれど。念のため。 (もっとも倫理と法は深く結びつく事が多く それによって明確に罪が定義されたりする)
少し話が横道にそれた。
さて、人を殺すことは法に触れる。 死刑は日本で現存するが、これは特異な例だと割り切る事とする。
ところが、共食いであるが…… 身近な例があるように思うのだ。
我々はお金という媒体を利用する事で生きている ……といってしまって過言ではないだろう。 少なくとも日本においてお金がなければ生きていけない。
もう一度、共食いについて考えてみる。 つまりは消費者を減らし、供給を増やす事だ。
『○○社』という種として生きるモノ(人)が 危機的状況に立たされたとき、どのような行動をとるか。
リストラクチャリング。 事業の再構築。 いわゆる、リストラである。
人員(個体)を減らし 人件費を減らす=企業の収入を増やす。 弱いものをエサとし、 企業という種を生かすために強者が生き延びる。
共食いそのものではないだろうか?
様々なものにより失業したものが保護される事はあるとはいえ 先ほど述べたようにお金によって生きている我々にとって 致命傷である事には変わりない。
共食いというシステム。 我々は本能的にこれを持っているのかもしれない。
そうは思わないだろうか?
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