1日雑記

2004年08月21日(土)

何となく唐突に……共食いについて考えてみた。

共食い。
同種を食する、という事で一般的に忌み嫌われている。
少なくとも私はこの言葉を侮蔑以外に用いる人をあまり見ない。
(もちろん本来の意味で使う人は居るが)

ところが考えてみるとこれほど効率的、
合理的なシステムも珍しい。
消費者が減り、食料が増えるのだ。

経済で考えれば需要・供給曲線で
バランスの崩れたものを立て直す。
需要を減らし、供給を増やすということを
誰の目にも明らかに行っている。

種の保存という観点から考えても
強者が生き延びることは種の存続に深く影響するだろう。

もちろん、人に当てはめてしまうと
人肉を食するという行為は許されていない。
私だってそんな事はしたくないし、考えたくもない。

もっとも、倫理なんてものは他人の作ったレールだし、
人類の不変的な共通概念という
曖昧なもので定義されているような気すらする。
そんなものに左右される必要なんてないのではないか?
……と、そんな事も考えるだけは考える。
共感はしないけれど。念のため。
(もっとも倫理と法は深く結びつく事が多く
 それによって明確に罪が定義されたりする)

少し話が横道にそれた。

さて、人を殺すことは法に触れる。
死刑は日本で現存するが、これは特異な例だと割り切る事とする。

ところが、共食いであるが……
身近な例があるように思うのだ。

我々はお金という媒体を利用する事で生きている
……といってしまって過言ではないだろう。
少なくとも日本においてお金がなければ生きていけない。

もう一度、共食いについて考えてみる。
つまりは消費者を減らし、供給を増やす事だ。

『○○社』という種として生きるモノ(人)が
危機的状況に立たされたとき、どのような行動をとるか。

リストラクチャリング。
事業の再構築。
いわゆる、リストラである。

人員(個体)を減らし
人件費を減らす=企業の収入を増やす。
弱いものをエサとし、
企業という種を生かすために強者が生き延びる。

共食いそのものではないだろうか?

様々なものにより失業したものが保護される事はあるとはいえ
先ほど述べたようにお金によって生きている我々にとって
致命傷である事には変わりない。


共食いというシステム。
我々は本能的にこれを持っているのかもしれない。

そうは思わないだろうか?


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