そうですねぇ、例えばの話ですが 世界を再構成する力があったとします。 自由自在に世界を変えられるわけです。
全ての原子を意のままに操れて、 考えるだけで勝手に原子が移動してそれを形成しているものを まったく新しいものに構成しなおすわけです。
これだけだとあまり悪い事に聞こえないかもしれないけれど モノを自由に壊すことが出来る力があった、というと まさに悪役って感じがするわけです。
原型を破壊し、新しいものを作るわけですから モノを壊すという手段については 前者も後者も共通しているわけです。
たった一つ、新しい物を創造するという一点が違うだけで あたかも神様であるかのような力になるわけです。
実際、創造するというのはものすごい労力と 発想を必要とするわけです。 世界を創ったのが神様だとすると 小さいながらもモノを作っている我々との境界は 一体どこにあるのかと考えるわけです。
少し方向性を変えてみるわけです。
アヘンを作る、銃を作る、兵器を作る、あるいは人を作る。
兵器や銃を作ることは、恐らく日本ではダメでしょうね。 アメリカとかだとわかりませんが。
人を作ることは倫理的に禁止されています。 先日、研究のためならば、云々認められた気はしますが。
倫理とは何か、と考えるとこれまた難しいんですよ。
他人の敷いたレール。 それに従い、人が嫌悪する行為を避ける。
その事にどれほどの意味があるのでしょうか。
国や文化の違い一つで、180度覆る可能性もあります。 そんなものにしがみ付く事の意味です。
人を作る事を避け、 一方で人工的に人に近づけるための努力は続いています。
それがロボットだったり、人工臓器だったり……。
倫理という曖昧なものに準拠するからこそ、 人は混乱するんじゃないか、と。
そーいえば先日掲示板で 近親相姦に関する話題が上ってました。 まぁ、それが事実であるか冗談であるかというのは そうたいした問題じゃないんですね。
要するに、そういう問題が事実であったときに 一体どう考えるかって話なんですよ。
そういえば、近親の間に出来た子は遺伝子的に 奇形児が生まれる可能性が高いとか色々。
恐らく日本じゃ何人もいないでしょうが…… と、そこまで考えて一つの疑問。
それが検証されるほど、近親間の子供って多いのだろうか。
ラットやらなんやらで実験しているんでしょうかね。
倫理の問題なんていったらそれこそ同性愛とか…… 山のようにあるのに、 その一つとして明確な答えなんて出ないんですよ。 そういう事を考える事についての 意味について考えてみると―――
なんか不毛ですね……。
あぁ――― 倫理は不要と言ってるわけじゃ ないですよ。(念のため)
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