想
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| 2006年04月08日(土) |
安楽死にもいろいろあるらしい。 |
仕事の関係で、安楽死をめぐる議論をいろいろ調べている。 今回はとりあえず、詳しい話はここに載せない。 勉強不足だし、時間もないし、仕事を先に済ませなきゃいけないから。
人が死ぬということについて、いろんな分野で専門家が真面目に話し合っている。 一般化させた「人の死」について。個別の「人の死」について。 宗教や信念の観点から、医療倫理の観点から、法の観点から。
ついこのあいだ話題になっていた、富山の外科部長の問題も難しい。失礼を承知で言えば、興味深い。 患者および家族と医者との信頼関係や、東海大学での安楽死事件の判決とのかかわりも出てくる。
専門家が熱心に話し合っている一方で、この情報化社会においては、特に知識もない一般人の意見交換も活発だ。 (僕も一般人の一人として考えている、ただし残念ながらというべきか、公の場で誰かと意見を交わしたことはない。) 自殺は自由か否か、とか、そんなこと。他愛もない、けれど今生きている個人にとって予想以上に重要かもしれないこと。
如何に死ぬか(死ぬことができるか)、なんていうのは、実に現代的、現代日本的な議論だと思う。 QOL確保に飽き足らず、生きることが権利ならば死ぬことも権利なのか、なんて、 何もしなければ明日も生きていることが前提だから考えられるのだ。 こんな裕福で腐った社会を批判するつもりは特にないけれど、こんな社会だからこそ、 命の重さとか人として生きることの意味とか、併せて考えていかなきゃいけないかな、なーんて、俺様、道徳的〜。
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