目次過去未来


2004年05月16日(日)  真面目と不真面目の競演

ロボットを戦争に使うな。
そんな技術開発なら、やらないほうがマシ。


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スイカップのアナウンサーが記者会見でスイカを持たされそうになって、
露骨に嫌がっている様子を見た。(「アッコにおまかせ」で。)
もしかして本人は、あくまでも乳をウリにするつもりはないのか。
もったいないと言うべきか、わかってないと言うべきか。
(追記:本当にうんざりしているようなので、同情はするが。)
彼女の未来のためにも、スイカップファンの未来のためにも、あれは単なる演技だと考えたい。

ところで、第1変換候補が「吸いカップ」なのは危険だ。
これでは気分的に、言葉のセクハラを超えてしまう。


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本当に気が向いたときにしか読まない、新書なるものを読んでいる。
数年に1、2度しか気が向かないので、いつになっても読み慣れない。
読み慣れない文章を読むのはただでさえ疲れる上、
読み進むのが遅いため内容の理解に時間が掛かり、さらに疲れる。
それでも、ここで放り投げるわけにはいかないし、
こんなふうに自分と闘うのも嫌いではない。


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15日の続き。

内職に長時間ぶっ続けで取り組むと、
「・・・八割に満たないと・・・」と書きたいのに手が勝手に
「・・・八割に溝」などと書いてしまう現象が起きる。恐ろしい。
恐ろしいが、興味深くもある。
これは一体、どこが疲れているのか。手(筋肉)か、頭(脳)か、あるいは両方なのか。

まいってるまいってるー という声が一瞬鮮やかに蘇った。
適度な休憩が必要です。


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ローザンヌ国際バレエコンクールの一部をテレビで観た。
僕が気づくと、いつもコンテンポラリーダンスの時間になっているのが悔しい。
こてこてのクラシカルなやつを、たまには観させてくれ。

実はこの話題は、申し訳ないがエセ表現論に繋がってしまう。

先日、さいばらりえこの『毎日かあさん』を本屋で立ち読みしていて思ったことがある。
(個人的には西原理恵子が毎日新聞に連載しているのが不思議だがそれはさておき、)
簡単に言うと、表現者に必要なのは技術よりもまず感性なのだなぁ、ということ。
(単行本を読めば、たぶん僕の言いたいことがわかってもらえると思う。)
で。
その後に、バレエの国際コンクールで賞を取るような表現をいくつも目にすると、
技術に裏付けられた表現というのはこれほど人を魅了するものか、と思ったりするのだ。
もちろん、若い彼らの感性はとても優れたものだと思うし、
1位に輝いた少年は、素人目にも、技術だけが秀でているのではないように感じられた。

結論を簡単に。
・表現には、技術と感性のバランスが必要。どちらも、磨くには努力が要る。
・よく「子どもの個性を育てる」などと耳にするけれども、はじめに育てるべきなのは「感性の個性」なのかも。
 その後で、技術的な得意/不得意を見極めて、表現手段の面での個性を伸ばせると良い。


真 |MAIL