-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 其の2   『 準備 』

出発を明日に控え、バスのチケットを買いにグレイハウンドまで行く。
今日のトロントは、日中−15℃前後。鼻毛が凍る勢いだ。
ボクは首にしていたマフラーを、
目だけ出す形で顔にグルグル巻きにした。
途中、銀行へ寄ると言うので、
ボクは彼の後について銀行の中に入った。
「あったけー!!」
思わず考えなしに口から出た。しかも日本語で。なおかつ大声で。
ATMを利用していた一人の女性が、`何事かっ?´とボクを凝視した。
どうやら銀行強盗か何かと勘違いされたらしい。
確かに、この時点でボクの格好は強盗まる出しだ。
`マズイ´
敏感なボクは、いち早く状況を察知し
そのグルグル巻きマフラーをサッと取り、笑顔を作って見せた。
それを見て安心したのか、その女性もボクにニコッっと笑顔を作った。
まるで、「アタシったら、勘違いしてゴメンなさいね。」
とでも言わんばかりだ。
その後、無事チケットを購入した我々は、ミーティングも兼ね
近くのチャイニーズレストランで食事をする事となった。
チャーハンを二人でシェアして、
あともう一品ずつ何か頼もうという事になり、
ボクは、鶏肉の炒め物カレー風味を、
彼は、牛肉とブロッコリーの炒め物を注文した。
ボクは中華が好きだ。なんと言っても、
注文してから運ばれてくるまでの時間が短いのがヨイ。
中華はスピードが命なんだとボクは勝手に思い込んでいる。
5分ほどして料理がテーブルに届けられた。
チャーハンに牛肉とブロッコリーの炒め物、そしてチキンカレー。
「んっ!?」
どうやらボクはオーダーミスを犯したようだ。
「カレー頼んだの?」
とtomolennonが聞くので、
「カレー風味だと思ってたら、カレーだったんだよ!」
と言ってやりたかったが、自分が間違えた負い目から
「え?あ、ウン…。」
と弱々しく答えた。
ボクの頼んだチキンカレーだけが、あきらかに浮いている。
それらを口に運びながら彼は、
`N.Y.で何をするのか、その後、何に繋げるのか´
について、再度ボクに語った。
そもそも、tomolennonのこの旅の目的は『原点回帰』にある。
彼が99年にトロントにやって来た当時、当然誰も彼の事は知らない。
そこで彼は、自分の絵を展示させてくれないか?と
トロント中のカフェやバー、一軒一軒を訪ね歩き交渉して廻ったのだ。
さらにその時、好きな絵を描くだけではなく、
なぜ自分はこの絵を描くのか?なぜこの色を使うのか?など、
深く掘り下げ、自分の絵を分析し研究したと言う。
これからの3年間で、活動拠点をトロントからN.Y.に移す事を
目標にしている彼は、トロントに来た時と同じく
ゼロからのスタートをN.Y.でやろうとしているのだ。
ボクは、チャーハンとミスカレーをほおばりながら、
熱心に彼の話に耳を傾けた。
食事を済ませ店を出ると、
我々は、彼のスタジオに戻り、パソコンへと向かった。
ボクは彼に、ブログの設定について講義を受けた。
N.Y.での出来事を記録し、
毎日ブログでUPする事がボクの仕事だからだ。
ボクは基本的にアナログ人間なので、機械にはめっぽう弱い。
イチから教えてもらったが、
果たして理解できたのかどうか不安が残る。
なんとかなるさ。と自分に言い聞かせ、今これを書いている。
横では、tomolennonが着々とN.Y行きの準備を進めている。
ボクも家に帰って準備をしなくてはならないのだが、
外の気温が、−22℃と知って、帰る気をなくした。
N.Yでホントに野宿するハメになったらどうするのか?
自分の事ながら、先が思いやられる。。。



飯沼省プロフィール
1974年愛知県生まれ。
20歳の時、表現者を目指すべく上京。
それから2年後の1996年のある日、
新宿歌舞伎町にあるアルバイト先で、Tomolennon氏と出会う。
1年ほどでそこを辞めてからも交友は続き、現在に至る。
99年に氏がトロントへ渡り、
翌年の3月に、1ヵ月ほど氏のところへ遊びに行ったのをきっかけに
「オイラもいっちょイッたるかい!」
と、すっかりその気になり、準備を始め02年にオーストラリアの地を踏む。
財政難から一時帰国するも、懲りずに再度オーストラリアへ。
2度目の渡豪から半年後、氏から1通のメールを受け取る。
「トロントに来ないか?」
自分が必要とされている事に気を良くし、調子に乗って今年(04年)9月下旬に渡加。
2度目のトロントに浮かれるも、氏と自分との社会的&金銭的地位の差にショックを受ける。
現在、氏のプロジェクトにてPR係と記録係を担当。
表現者としては、まだまだ暗中模索気味…。


2004年12月20日(月)
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