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■ 其の2 『 準備 』
出発を明日に控え、バスのチケットを買いにグレイハウンドまで行く。 今日のトロントは、日中−15℃前後。鼻毛が凍る勢いだ。 ボクは首にしていたマフラーを、 目だけ出す形で顔にグルグル巻きにした。 途中、銀行へ寄ると言うので、 ボクは彼の後について銀行の中に入った。 「あったけー!!」 思わず考えなしに口から出た。しかも日本語で。なおかつ大声で。 ATMを利用していた一人の女性が、`何事かっ?´とボクを凝視した。 どうやら銀行強盗か何かと勘違いされたらしい。 確かに、この時点でボクの格好は強盗まる出しだ。 `マズイ´ 敏感なボクは、いち早く状況を察知し そのグルグル巻きマフラーをサッと取り、笑顔を作って見せた。 それを見て安心したのか、その女性もボクにニコッっと笑顔を作った。 まるで、「アタシったら、勘違いしてゴメンなさいね。」 とでも言わんばかりだ。 その後、無事チケットを購入した我々は、ミーティングも兼ね 近くのチャイニーズレストランで食事をする事となった。 チャーハンを二人でシェアして、 あともう一品ずつ何か頼もうという事になり、 ボクは、鶏肉の炒め物カレー風味を、 彼は、牛肉とブロッコリーの炒め物を注文した。 ボクは中華が好きだ。なんと言っても、 注文してから運ばれてくるまでの時間が短いのがヨイ。 中華はスピードが命なんだとボクは勝手に思い込んでいる。 5分ほどして料理がテーブルに届けられた。 チャーハンに牛肉とブロッコリーの炒め物、そしてチキンカレー。 「んっ!?」 どうやらボクはオーダーミスを犯したようだ。 「カレー頼んだの?」 とtomolennonが聞くので、 「カレー風味だと思ってたら、カレーだったんだよ!」 と言ってやりたかったが、自分が間違えた負い目から 「え?あ、ウン…。」 と弱々しく答えた。 ボクの頼んだチキンカレーだけが、あきらかに浮いている。 それらを口に運びながら彼は、 `N.Y.で何をするのか、その後、何に繋げるのか´ について、再度ボクに語った。 そもそも、tomolennonのこの旅の目的は『原点回帰』にある。 彼が99年にトロントにやって来た当時、当然誰も彼の事は知らない。 そこで彼は、自分の絵を展示させてくれないか?と トロント中のカフェやバー、一軒一軒を訪ね歩き交渉して廻ったのだ。 さらにその時、好きな絵を描くだけではなく、 なぜ自分はこの絵を描くのか?なぜこの色を使うのか?など、 深く掘り下げ、自分の絵を分析し研究したと言う。 これからの3年間で、活動拠点をトロントからN.Y.に移す事を 目標にしている彼は、トロントに来た時と同じく ゼロからのスタートをN.Y.でやろうとしているのだ。 ボクは、チャーハンとミスカレーをほおばりながら、 熱心に彼の話に耳を傾けた。 食事を済ませ店を出ると、 我々は、彼のスタジオに戻り、パソコンへと向かった。 ボクは彼に、ブログの設定について講義を受けた。 N.Y.での出来事を記録し、 毎日ブログでUPする事がボクの仕事だからだ。 ボクは基本的にアナログ人間なので、機械にはめっぽう弱い。 イチから教えてもらったが、 果たして理解できたのかどうか不安が残る。 なんとかなるさ。と自分に言い聞かせ、今これを書いている。 横では、tomolennonが着々とN.Y行きの準備を進めている。 ボクも家に帰って準備をしなくてはならないのだが、 外の気温が、−22℃と知って、帰る気をなくした。 N.Yでホントに野宿するハメになったらどうするのか? 自分の事ながら、先が思いやられる。。。
飯沼省プロフィール 1974年愛知県生まれ。 20歳の時、表現者を目指すべく上京。 それから2年後の1996年のある日、 新宿歌舞伎町にあるアルバイト先で、Tomolennon氏と出会う。 1年ほどでそこを辞めてからも交友は続き、現在に至る。 99年に氏がトロントへ渡り、 翌年の3月に、1ヵ月ほど氏のところへ遊びに行ったのをきっかけに 「オイラもいっちょイッたるかい!」 と、すっかりその気になり、準備を始め02年にオーストラリアの地を踏む。 財政難から一時帰国するも、懲りずに再度オーストラリアへ。 2度目の渡豪から半年後、氏から1通のメールを受け取る。 「トロントに来ないか?」 自分が必要とされている事に気を良くし、調子に乗って今年(04年)9月下旬に渡加。 2度目のトロントに浮かれるも、氏と自分との社会的&金銭的地位の差にショックを受ける。 現在、氏のプロジェクトにてPR係と記録係を担当。 表現者としては、まだまだ暗中模索気味…。
2004年12月20日(月)
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