英語通訳の極道
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2003年06月18日(水) 通訳現場にインターネットを

先日CNNのニュースを聞いていておやっと思った。カナダ沖で転覆した釣り船に乗っていた釣り人を、クルーズ船(cruise ship)が救助したという話をしている。

たまたまテレビで日本語音声をつけていたのだが、このくだりを「クルーズ船がカナダ沖で3人の男性を救助しました。『ロイヤルカリビアン号』がバンクーバーに向かって航海していたところ‥‥」と伝えている。

ロイヤルカリビアンといえば世界最大のクルーズ船運営会社(Royal Caribbean International)だ。それと同名の船があるのかという疑問が起こった。

英語音声を聞けば、

A cruise ship has come to the rescue of three men stranded in the frigid waters off of Canada. A Royal Caribbean cruise ship was sailing south toward Vancouver when it got a call for help. The Canadian Coast Guard asked the Radiance of the Seas to go to the rescue of the sinking fishing boat....
正しくは、ロイヤルカリビアン社の『レイディアンス・オブ・ザ・シーズ号』が救助に向かったのだ。

この通訳者は多分、クルーズ船業界には詳しくなかったのだろう。この船の名前が『ロイヤルカリビアン号』だと思い込んでしまったためか、"the Radiance of the Seas"を訳さなかった。

だからといって、この通訳者の揚げ足をとるつもりは全くない。私自身現場で通訳をしている時は、聞き間違いや知識不足からしょっちゅう誤訳をしているはずだし、放送通訳者達の巧みな訳出にはいつも感心させられ、お手本にしている。

百戦錬磨の通訳者とて知らないことがあるのは当然だし、音を聞き落とすこともある。常に100%正しい通訳をするのは不可能だ。舞台裏では、通訳者仲間でお互いの誤訳を披露しあって笑うのは、息抜きの楽しみの一つである。

しかし、今回の間違いはちょっと残念だった。何故なら、簡単に防げたはずだからだ。

自分の頭の中にある情報しか頼るものがない同時通訳や逐次通訳と違って、時差通訳や翻訳では多少なりとも調査をする時間的余裕がある。

もし、最初に"a Royal Caribbean cruise ship"を『ロイヤルカリビアン号』と誤解しても、そのあとに"the Radiance of the Seas"と来れば、あれ、待てよ、この二つの関係はどうなっているんだという疑問が当然生じるだろう。それをインターネットで検索すれば簡単に調べがつく。1〜2分で済む。

このニュースを担当した通訳者も、多分ここで述べたような疑問を持ったはずである。問題は、迅速な調査を可能にする手段が手元にあったかどうかだ。つまり、インターネットにアクセスできたかどうか。この点が怪しい。

通訳者は情報・通信機器を使いこなすという点で遅れていると以前書いたが、個々の通訳者だけではなく、通訳付き番組を提供している放送局など、通訳現場そのものの情報化もまだ十分ではないようだ。

だから、インターネットを使えばたった1〜2分で調べのつく問題も、目の前にアクセス手段がないために、分刻みで時間に追われている状況では、十分に調査できないことがある。

こうした状況は、通訳者を雇う側で簡単に解決できるはずである。すべての通訳者が常時インターネットにアクセスできる環境を提供すればよい。必要な投資は微々たるものだ。今やインターネットは通訳者・翻訳者にとって必要不可欠な道具。情報量と検索スピードの両方において、最も有用な情報源である。

迅速で正確な調査能力を要求されるのは、通訳だけではない。音声翻訳を字幕で提供する仕事も同じような状況にある。

もう6〜7年程前になるが、"Inside Edition"というアメリカのニュースマガジンが字幕翻訳付きで放送されていた。ある日、派手な格好をしたダイアナ・ロスを"drag queen"のようだと表現するくだりが出てきて、字幕では「麻薬の女王」となっている。どうやら"drag"と"drug"を取り違えているようだ。

当時まだ日本では、"drag queen"(女装して女っぽく振る舞うホモを指す)については一般的に知られていなかったので、翻訳者は"drag"と聞いてもピンとこなかったのかも知れない。

しかし、もし電子媒体の辞書が手元にあれば、"queen"をキーワードとして後方一致検索をかけ簡単に調べ出せたはずだし、インターネットで検索すればヒントになる例文が山ほど引っかかったはずだ。

テレビ画面では衣装もお化粧もケバケバしい“女性”達が笑みを振りまいて踊っている。番組の流れとしては、いきなり「麻薬の女王」が出てくるとしっくりいかない。疑問をすぐに調査できる環境があれば、こういう間違いは防げるはずだ。

インターネットを常時利用できる環境を提供するのは雇う側の責任だが、それが実現するまで、現場の各通訳・翻訳者は自前で情報武装する必要があるだろう。今なら、PHS回線網を使って常時インターネットに接続できるサービスが月数千円程度で手に入る。通信用PCカードを差し込んだ小型ノートパソコンを常時携帯すれば、心強いことこの上ない。

かつては頭と耳と口があれば見事な職人技を見せることができた通訳という仕事だが、今や情報機器を最大限活用できるかどうかで大きな違いが生まれる時代になった。この流れは今後ますます加速していくだろう。


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