あの日から10年が経ちました。 本日は震災のあった時刻、午前5時46分より神戸のChou Storeさんで震災チャリティビーニー の販売がありました。毎年、震災の時刻に起きるよい機会を与えてくれていると思います。 数年前から恒例になっている、震災時刻から受付開始の販売方法ですが、 当初は震災のあった時刻に必死でメールを送ることが 本当の追悼の意味であるのかとの声もありました。 それでも、震災時刻から受付開始という販売スタイルを崩さなかったChou Storeさん。 全ては「震災があったことを忘れないで欲しい。」という想いからのようです。 土曜日にお話をうかがった時には「大規模じゃなくてもいいから、細く長く続けていきたい」 とおっしゃっていました。 私も眠い目をこすりながら震災時刻前に起き、 TVで神戸の追悼式典の様子を見ながらメールを送りました。
確かに、震災をこの身で経験し、被災地のど真ん中で「生きること」に直面させられた私でさえ 日々の生活に追われる中で「阪神大震災」のことを忘れつつある時があります。 ちょっとした地震を感じる度、地震の報道を見る度、あの時の記憶が蘇りますが 四六時中、震災のことを考え、思いを巡らせているわけではありません。 それは人間の「記憶」の中でやむを得ないことだと思います。 辛かった記憶だけを舐め続けていては、人間は生きてゆけないと思います。 生きていればお腹は減るし、面白いことがあったら笑う。だから、頑張れる。 でも、それでいいんじゃないかな。 最近は新潟中越地震やスマトラ沖地震があり、危機管理が改めて問われる時ではありますが、 だからと言って決してネガティヴにだけはなって欲しくないなって思います。 あの時、余震に怯え、妙にざわめきたった古い小学校の講堂の窓から 火災で赤く焼け映った空を見ました。空襲ってこんな感じかな?と感じました。 何もかもを一瞬で壊され、「なんで自分らだけこんな辛い目にあわなあかんの?」と 何度も見えない何かを呪いました。 それでも、頑張って支えあって助けてもらったから、今の私があります。 一歩間違ったら死んでいたかもしれない被災者の私は、10年経った今、こんなに元気です。 時が解決してくれるとは思わないけれど、いつか「生」に感謝することができると思います。
厳かに行われていた神戸の追悼式典の模様をTV中継で見ながら、会社に行く準備をして 家を出たところから、いつもの日常に引き戻されました。 東京じゃ、別に今日が阪神大震災があった日なんて忘れている人もいっぱい。 私も会社じゃ、ちょっと眠かったけれど、普通に仕事をしました。
夜、Chou Storeさんから例のチャリティプロモが買えなかったとお返事がありました。 私のメールの送信履歴は受付開始4秒後。。。 たった4秒の間に既に完売してしまったってすごいやねぇ。 ま、仕方がない。
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