カフェの住人...

 

 

第二十四話 〜女優から女優になった人〜 - 2004年07月09日(金)



まだ、あの彼女はここに来て間もない。

でも、何故だかここにするりと馴染んだ。





彼女がいつもここに来る時は、他の住人も必ずいる事がほとんどで

なかなか私たちは話をできないでいた。

でも、何故だかお喋りをしなくても

分かり合っている様な感覚を持てるのはこの人だからだろうと思う。







彼女は女優だった。

しかし、ここに来た当初は 『以前の話』 のように聞こえてしまった。

もちろん、その時は舞台へ立っていなかったのだから

そう思えたのも仕方ないのだけれど。



彼女は母でもあった。

一人で出産し一人で子供を育てているという。









『以前の話』 のような、と書いたのは

ここに来た当初、迷いと不安のうずに巻かれていて

まるで凍てついた氷のように見えた気がしたから。

具体的な悩みの発端は知らないけれど

いつの間にか昔の自分を忘れてしまい

どうこれからを進んでいいのかが分からなかったようだった。







この数年、子育てで舞台から離れていて

知らぬ間に、熱かった鉄のような芯がここまでそうなってしまったのには

きっとそれだけの理由があったのだろうと想像できる。





来る度にナーヴァスな表情を浮かべ、決して明るい感じとは言えなかったが

ウラハラに、きゃしゃな身体と眼の奥にある、しっかりとした強さを見た。



昔を知る訳でもないので、何故そう思ったかは言い様がない。

けれど、「きっとこの人は本当は強い人なのだろう」

そう思っていた。











彼女はたまたま、あるセラピストの元へ行ったことがキッカケとなり

うちにも来る様になったのだが、そのセラピストが住人だったのだ。

こうして様々な住人達との出会いが重なり、暖かい眼差しに見守られることによって

そんな凍てついた心がようやく溶け始めた。



徐々に何かを取り戻した彼女は、見て明らかなほど変化していった。







そのうち、女優の顔を取り戻した彼女。



だからもう 『以前の』 ではなく、『本物の女優』 になったのだと

私は勝手に嬉しくなったものだった。





不思議と、そんな彼女を出迎えるかのように

ちょうど合った舞台の話が舞い込んだらしい。







今年の冬。

女優としての第一歩を歩みだした学校・劇団のある北の土地に呼ばれて行った折

その入学した時に提出した作文を返されたという。

すると、自分自身で書いた文字に眼を見張ったそうだ。



「人に感じさせられる様な、感じられる自分でありたい」 と。




原点回帰。



まさに、最後の氷が溶けていったのだろう。

「大事なことを思い出したよ」 そう、言った言葉には

確実な思いがこもっていた。









そんな彼女の舞台が始まると、私は

他の住人らと大きな花束を持って、毎日満席だという劇場へ向かった。

小さいけれど、歴史もレベルも高いその劇団のベテランさんらと並んで

スポットライトを浴びた彼女が立っている。



もうそこにいるのは、彼女ではなかった。



私は、その輝いた姿に涙が止まらなかったのだった。







大海で船出した彼女には、まだこれからも

様々なことが起きるのかもしれない。

それでも、彼女は漕ぎ続けるだろう。









ただ見ていただけではあるが



何故だか話をしなくても、安心して見ていられる人もいる。



話をしなくても、それでも大丈夫と思える人がいる。



そんな新しい住人の笑顔が、今日も嬉しい。







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