リュカの日記

2016年06月24日(金)

現在午前0時00分。
日が替わった。
祖父のお葬式も「昨日」になってしまった。
今日はちょっとしたら寝ようと思う。

現在午前9時56分。
目が醒めた。
「名探偵コナン」が最終章に入って録画してもらう夢、下水とかを突き進んで道を切り開く夢なんかを見た。

昨日の疲れがまだ残っているな。

現在午前10時27分。
葬儀場の物だと思われるハンガーの写メを添えて、母にメールを送ってみた。

葬儀場の物だと思われるハンガー。


母には「Cさん(叔母の妹さんの名前)が昨日俺の普段着畳んでビニールに入れてくれてたんやけど、昨日家に帰ってから確認したら木製のハンガー入ってた。多分これ、葬儀場のハンガーやわ・・・。こんなハンガー部屋に置いてて、霊的に大丈夫なんかな?」とメールをしていて、さっき母から返信メールが届いた。
「そうですか。霊的と言われても私にはわかりませんが、そのハンガーを○○(俺の名前)が持っているのが不安なら、私が引き取ります。私がちゃっちゃと処分してもいいよね。またうちに来る機会の時に持って来て!!」と。
俺は「分かりました。お願いします」と再返信。

現在午後12時24分。
スーパーに行って買い物してきた。
外は大雨が降っていた。

今月の21日、実家付近で母と待ち合わせをした。
母がタクシーを拾いたいと言うので、俺がタクシーを見つけたら、運転手の人が祖父と同じ歳くらいのおじいさんだった。
母が「ゲッ」みたいな顔をしたので「辞めとく?」と尋ねたのだが「いや、行こう」と言われ、そのおじいさんが運転するタクシーで篠山に向かった。
篠山の老健に着くと、病室で祖父が心電図に繋がれていて、その心電図がピピピピッ、ピピピピッと間断なく鳴り続けていて、少し気分を不安にさせた。
そろそろ祖父がヤバイんだ、と察するには十分な状況だった。
その時点で午前10時頃だ。
俺が祖父の生きている最後の映像をスマホから動画を撮った時間帯が午前10時29分となっていたから、前に「老健には午前10時40分くらいに到着した」と書いたのは誤りだったみたいだ。
看護師さんが祖父のおなかをまくったら、おなかにゴルフボール大の丸い出来物が出来ていた。
一瞬「でべそ?」と思ったのだが、おへそよりは微妙に上の位置に出来てたようだ。
祖父はまだ喋れた時に「押さない限りは傷みは無い」と言ってたそうだけど。
あれは癌が転移した物だったのだろうか?
看護師さんも「検査してみない事には解りません」と言ってたそうだけど。
祖父の脈拍が20まで落ちたところで、祖母が「お父さん、お父さん」と泣き出したのだが、一瞬で泣きやんだ。
祖母は、祖父が死んでお金が入る事を前提にして柏原の家をリフォームしまくってたし、どこか芝居がかった物を感じた。
東京の叔父家族が到着するまで祖父を生きながらえさせようとして、何度も何度も脈拍が0にまで落ちた祖父に対して、俺と母が必死に祖父の腕をさすりながら声かけをしている最中だって、祖母はそっぽを向いたりトイレに出て行ったりしていたし。
「冷たい人だな」というのが印象だった。
午後12時頃になり、東京の叔父から「今大阪に着いたとこ」と電話が入った。
もういつ祖父が死んでもおかしくない状態なのに、まだ大阪なのか!
これじゃ、祖父が息を引き取るのはどうあっても間に合わない、と思った。
大阪から篠山の老健までどう考えたって1時間以上はかかるし、祖父の腕をさする為に中腰になっているのもしんどかったし、汗だくになっていたので、それがきつくてきつくて。
だから、俺は心の中じゃ「おじいちゃん、もう死んでもええねんで。もう頑張らんでええんやで」とか思いながらも、口では「おじいちゃん頑張って」「おじいちゃん戻ってきて」と、言ってる事とやっている事があべこべな事をしていた。
もちろん、心の中じゃ叔父家族が病室に到着するまで祖父の命を持たせたい、という気持ちも片隅にはあったのだが、あまりにもしんどくて。
それから1時間20分くらい頑張って母と俺で声かけをして。
祖母は一言も声をかけない。
そして、午後13時20分頃に叔父とその息子のE君が到着し、その直後に祖母が祖父にかけよって「お父さん、E君(叔父の息子、俺の従弟)たち間に合ったで・・・」と涙ぐんでて、俺はやっぱり祖母の態度に芝居臭さを感じてしまった。
叔父家族が到着したので、もうこれ以上祖父を延命させる必要は無いんだと思い、祖父に駆け寄る叔父やE君から俺は一歩下がったところで傍観していた。
脈拍が0に落ちた時だけ、俺も一言だけ「おじいちゃん、戻ってきて」としらじらしく声をかけたけど、さっきまでのように必死な声かけはもうしなかった。
叔父が「あと2時間くらいしたらM(叔父の奥さん、俺の叔母)も来るからな」と祖父に言ってたけど、俺は心の中で「いや、もう無理やろ」とか思ってた。
それから午後13時50分くらいに俺と同じ歳くらいのお医者さんが着て、祖父の検査をして「1時55分、お亡くなりです」と言って手を合わせ。
皆で祖父に手を合わせ。
俺はその時「やっと終わったんだ・・・」と、少しホッとしたような気持ちになってしまった。
それからタバコを吸いに外に出る事にして。
でも、エレベーターの中で祖父が死んでしまったんだ、という事が不意に悲しくなってしまって、肩を震わせて泣きだしそうになってしまった。
でも、1階のエレベーターのドアが開いたところで真ん前に弟が立っていて、びっくりしてその悲しい気持ちも吹き飛んでしまった。
そして弟に「おじいちゃん、今さっき息を引き取ったで」と言い、弟は「嘘ぉ!?」と。
それから弟と入れ違う形で俺は外に出てタバコを吸った。
戻ってきたら弟が「あと10分早く来れてたら間に合ったのに・・・」と。
でも、看護師さん曰く午前11時50分くらいが祖父の最後の一呼吸で、既にその時には亡くなっていたとか。
どっちにしろ弟や叔父たちは祖父の最後には立ち会えていなかったんだな、と思った。
しばらくしたら叔父の奥さんのMさんもやってきた。
俺もその時にはまた祖父の病室のある階に戻ってた。
そこで、みんなで歓談室みたいなところで祖母がさっき老健の購買部みたいなところで買ったお弁当を食べた。
俺は弟と叔父に、祖父がまだ息を引き取る前、口を動かしていた頃のスマホで撮った1分1秒の動画を見せた。
2人とも真剣にその動画を観ていて、弟は「まだこの頃は生きてたんやな」とか叔父は「お父さん、あんまり苦しそうじゃないね」とか言っていた。
「これが本当の本当に最後の時なんだね」とも。
それから、俺たちが病室を出ている間に、看護師さんたちが祖父に紺色?の着物を着せていた。
祖母曰く「お父さん、お正月はいっつも着物着てたから」との事。
でも、俺たちは誰一人として正月に着物を着ている祖父を見た事が無い。
正月は祖父母はいつも東京の叔父の家に行ってたし、その時は普段着だったそうだし。
でも、東京に行ってない時は柏原の部落の集まりじゃ、祖父はいつも着物を着ていたと祖母は言ってた。
祖父の死亡診断書の「死因」の項目は「原発性肺癌」
「発症時期」は「不詳」となってたそうだ。
親父の時は単に「肺癌」と書かれてたそうだけど。
祖父の目は閉じる事が出来たけど、祖父の口が開きっぱなしになっていたので、看護師さんたちが祖父の口に綿を詰めて、口を閉じようと頑張っていた。
死亡直後、口が開きっぱなしになっていたのも、親父と一緒だったな。
それから霊柩車というのか、遺体用のタクシーというのか、それを運送する会社の人たちが着て「この度はご愁傷様でした」と。
それから祖父を乗せて柏原の葬儀場に向かう事になった。
篠山の老健を出る時、スタッフの人たちが出口まで出てきてくれたので、俺たち祖父の親族はスタッフの人たち、看護師の人たちに「お世話になりました」と挨拶をした。
それから弟と叔母とE君とMさんは柏原の家に、俺と母と叔父と祖母は祖父の遺体を追いかけて柏原の葬儀場に行き、葬儀場で葬式の段取りをした。
それが終わってから柏原の家に帰った。
長くなったので、とりあえずここでいったん日記を区切る。

現在午後15時43分。
洗濯機に水を張り、洗浄剤を入れたので、今から5時間放置だ。
午後20時43分まで。

今から夕食を食べながら「リーガルハイ 2014年スペシャル」を観ようと思う。

「リーガルハイ」で九條というたかりの弁護士が出てきた。
そいつが覚醒して、ちょっとかっこよく思えてきた。
古美門よりも九條を応援してしまいそうだな。

現在午後18時04分。
「リーガルハイ スペシャル 2014」を最後まで観た。
面白かった。
これで、このシリーズは完結だ。

昨日家に帰ってきた時、ポストに選挙の投票所の整理券が届いていたけど、政治の事は何も分からないし誰に投票すべきなのかも分からないので、ゴミ箱に捨てた。

祖父が亡くなったので、一応報告の為にメッセの子とあの子にメールを送っておいた。

ネット上で「霊能力を鍛える方法」というのがある。
その方法とは、目をつぶり、ドアから家の中に入って行く光景を思い浮かべ、部屋の中に何かが居たらその何かがその部屋に居る霊なのだと言う。
俺は祖父が亡くなった晩、柏原の家で寝る時に、夢うつつながら目をつぶり、柏原の家の玄関から家に上がり、祖父の部屋に入って行く様子を思い浮かべた。
すると、祖父の部屋にはやせ細った祖父が、亡くなった後に着せられていた紺色の着物を着て正座をしてこっちを見据えているイメージが頭に浮かんだ。
その瞬間、頭の中にズザザザザ・・・というザワザワとした感触が走った。
生まれて初めて感じる感覚。
これが霊感の感覚なのだろうか・・・
叔父とE君が病室に到着して祖父に駆け寄った時、1時間以上前に息を引き取っていたはずの祖父の脈拍が、そんなにゆすっていないのに100以上まで回復したのも、不思議だったな。

祖父の腕をさすりながら、自分がしんどいからという理由から「もう死んでええねんで」とか思ってしまったり、スマホから写真や動画をパシャパシャ撮ってた俺の事、祖父は「冷たい孫だ」とか思ってないかな・・・

葬儀場に泊まった時、何度も悪夢で目が醒めてしまったのも、ネット上で知った方法によって霊感に目覚めてしまったから、とかじゃないよな?
色んな遺体が運び込まれる部屋だし、あの部屋なら何かあっても不思議じゃないと思う。

祖父は昭和5年、1930年の4月21日生まれだ。
「キリが悪いから」と祖父の親が戸籍の上では「4月20日」と届け出たみたいだが、実際には21日。
祖父は2016年6月21日に息を引き取ったので、86年とちょうど2ヶ月生きた事になる。
100歳を超える兄弟が2人も居るし、90歳を超える兄弟も居る人なので、一般的に見たら大往生でも、家系の中では短命だったのかな、と思う。

俺が小2の頃、25.6年前に父方の祖父が死んだ時、お葬式に今回亡くなった母方の祖父がやってきて、俺と目が会い、うなずいて挨拶してきたのが、俺の中で一番印象に残っている祖父の姿だ。
城崎の家系と柏原の家系は、その当時の俺が知る限りでは一度も交わった事が無かったので、柏原の祖父がやって来てくれた事が凄い事のように思えたのだ。
また、父の葬式では火葬場で投げやりな感じでお骨を拾っていた祖父。
今回は、その祖父が体を焼かれて骨を拾われる番になってしまったんだな・・・

祖父は自分のおばあちゃんの晩酌に付き合って、幼い頃からお酒を飲んでた。
そのせいか、20代の頃の写真ですら顔がしわくちゃで今の顔と殆ど印象が変わらなかった。
アメリカの叔母(祖父から見たら次女)の授業参観に参加した時、本当は叔母の父親なのに、あまりに白髪で顔がしわくちゃに老けていたからか、祖父は先生に「おじい様」と呼ばれ、その事にショックを受けていたようだ。
俺が子供の頃から今現在にかけて、やせ細っている事を除けば祖父のイメージは全く変わっていないと言ってもいいくらい。
色黒なので、余計に印象が変わりにくかったのかもしれない。
祖父はあの時から今でも、変わらずずっと「おじいちゃん」って見た目をしてたな。

祖父が80歳になった時、それを祝う為にみんなで柏原に集まったのも、もう6年も前なんだな。
ついこの間の事のように感じる。
あの頃は親父もまだ生きていて。
祖父が「わしの為に集まってくれてありがとさん」とか言ってたのも覚えてる。
俺はまだ27歳だったっけ。

父方の祖父は教師をやってて公務員だったけど、母方の祖父も公務員だったんだよな。
でも、どっちも誰も後を継がなかったな・・・
今回亡くなった祖父は引退後も色々団体に頼られて、月に2.3回だけど会合?の話をまとめるみたいな仕事を引き受け、1日の仕事で6万とかもらっていたと聞いたっけ。
人望があったんだろうな。
家の中じゃ寡黙だったけど、外ではとても面白い人だったそうだ。
当時の役場?はみんながみんな、電話対応で溢れかえっていたので、普段から大声で話す癖が染みついてしまっていたみたいで、電車の中なんかで祖父が大声で話しているのを母なんかは恥ずかしかったみたいだけど。

祖父には100歳まで生きてほしかったな。
そしたら、その頃には俺は47歳くらいか。
祖父は「おじいちゃん」になったのも早かったんだよな。
20代半ばで結婚し子供を産み、その娘である母も20代半ばで子供、つまり俺を生んでいて。
俺は初孫だ。
だけど、俺は外孫だからか、内孫のE君が一番可愛かったみたいだな。
いつだったかE君が会いに来る、となった時に、それを聞いて涙を流したそうで「どれだけ大切に思ってんだよw」って印象を受けたと親戚の誰かが言っていた。
俺や俺の弟相手には全くそういうのは無かったらしいし。
だから、母も祖父が亡くなる時の声かけで、何度も何度も「E君来るから、それまで頑張ってな」「東京からE君来るで。お父さん、せっかくだからE君に会おうよ」と繰り返してたんだろうな。

現在午後20時43分。
時間が来た。
5時間放置していた、洗濯機の洗剤を入れて張っていた水を流そうと思う。

現在午後21時40分。
洗濯機の掃除がとりあえずは終わった。

現在午後22時17分。
挿丸さんからスカチャが着て、13分くらい話してた。
祖父が亡くなった事とか。

現在午後22時23分。
疲れた・・・
今日はそろそろ寝る前の薬を飲もうと思う。


 < 過去  INDEX  未来 >


リュカ

My追加