現在午前0時01分。 日が替わった。 今日から「スーパーナチュラル」の2週目を観ていこうと思う。 あと、今日も歯医者に寄ってみるのを忘れないようにしよう。
ガッチマンの「ALAN WAKE」、23までは2回観てるんだよな。 なので、23から最後の30までもう1度観ていこうと思う。
ニコニコニュースで出てたけど、無免許運転でバイクで道路を逆走していた高校生が死亡したそうだ。 ツイッターのコメントを見ると「糞ガキざまあwww」とか「せめて人に迷惑かけずに死ねよ」とかってコメントで溢れてた。 人間って怖いな。 自業自得とは言え人死にが出たのに「ざまあwww」とか「迷惑かけずに死ね」とか言えるんだ。 俺もよくムカつく奴らに「死ね」とか思ったり、日記でも書いたりするけど、本当に死んでほしくて書いてる訳じゃない。 言葉のあやみたいな所がある。 でも、人死にが出たのを知った上で「ざまあwww」とか「迷惑かけずに死ね」とか書いてる連中はきっと本気でそう思って書いてるんだろう。 それを思うと怖すぎる。 「人に迷惑をかけるのは死に値する事」または「死よりも重い事」だと本気で思ってる連中の多さ。 鳥肌が立つ。 しかも、それが当たり前の社会通念みたいになっていて。 人に迷惑をかけた人間たちが実際に死んだ事実を喜んで見せる事こそ、周りからも社会的にも推奨される当たり前の反応なんだ、みたいな感覚が連中の中にはあるんだと思う。 そういう日本人たちの現状、共通心理みたいなのが本当に怖い。 そういう奴らは逆に自分が人に迷惑をかける立場になった時はどうするんだろう。 自殺するのか? 違うよな? 集団心理って恐ろしい。 おまけに醜い。 俺はたとえばタイプの少年を襲った奴が死んだとしても「ざまあみろ」なんて思わない。 「当然の報いを受けたんだろうな」と「何も感じない」くらいの感覚。 人の死を本気で喜べる連中とか怖すぎるだろ。 そういえば、6年くらい前に俺が悪性リンパ腫かもしれないと疑いを持って、それを日記に書いた時、メガビで俺の粘着が大喜びで「リュカ悪性リンパ腫、ざまあwwwww」みたいに狂喜乱舞してた事がある。 ああいう奴らの神経も本当に理解出来ない。 たとえば俺は、自分から俺に喧嘩を売ったのに被害者面したり、俺がニートであった事、または俺がニートでなくなって働き出しても同じくレッテルを貼って言論弾圧したり、周りに嘘を吹き込んだり、自作自演や名無し潜伏で俺を叩きに来たり、俺の粘着たちを利用して集団で俺の事を寄ってたかって叩きまくったり、これでもかってくらいに俺に対して散々汚い真似をしてきたにっくきかわうそこと豚嘘が癌や悪性リンパ腫になったとしても「ざまあみろwww」なんて思わないのに。 とは言っても、同情もしないけど。
メッセの子なんかは、少年を襲ったショタコンが死んだ場合は「(死んで)逃げられた」って感覚になるそうだ。 その感覚は俺にも分かる。 性犯罪を犯したショタコンには、死ぬ事よりももっと苦しい思いをしてほしい、とは思うけど。 ただ、死んだからと言って「ざまあみろ」なんて思える神経が俺には全く理解出来ない。
「人の不幸は蜜の味」という言葉もある。 確かに、少年時代の俺にはそういう感覚があったと思う。 嫌いな奴らが族に拉致られたり、弟が怒られたらそれが嬉しくてたまらなかった。 でも、今の俺には「メシウマwwww」みたいな感覚が全く理解出来ない。 俺の中じゃ、とっくに卒業した感情なんだと思う。 人の不幸なんて自分自身に何のメリットも生み出さないじゃん。 特に、名無し同士のやり取りで「俺今日フラれたんだ」とかって書いて「メシウマwwww」とか書いたりする奴とか、全く理解出来ないな。 まだ嫌いな奴の不幸を喜ぶのなら少しは分かりそうな気もするけど、全く見ず知らずの人間の不幸や不運を喜べる神経が本当に理解出来ない。 そういうのを喜んでる連中を見ると「幼稚だな」と思ったりする。
俺がネトゲでアカウントハックを受けて運営がまともに対応してくれなかったのを見て「リュカざまあwww」「運営久しぶりにいい仕事したなwww」みたいに書いてた奴らも居たけど、そういう奴らも同様。 他人、または自分が嫌ってる奴(この場合は俺)のアイテムが根こそぎ不正ユーザーにかっぱらわれて糞運営がまともに対応すらしてくれなかったからって、そいつ自身には何も入ってこないじゃん。 そういうのを喜ぶ神経が俺には分からない。
まあ、俺は豚嘘のメッキが剥がれて叩かれるようになったらそれはちょっと嬉しいかな。 俺が散々主張してきた「こいつは卑劣な奴なんだ!」という論が通って、浸透したという証だから。 でも、こういうのは「人の不幸は蜜の味」とはまた別の感覚だと思う。 今まで汚い奴ら(おがわや豚嘘や俺の粘着たち)の醜い都合によって押さえつけられ続けてきた「正義」が初めて通った証だから。 逆に、おがわあたりが周りからまた「ゴキブリ、ゴキブリ」みたいに叩かれるようになっても、俺は何も感じないけど。 嬉しくもないし悲しくもない。 何故なら、おがわが卑劣なゴキブリ野郎だというのは既に俺の指摘や批判等で証明されてきた事だから。 いったん証明された事がまたぶり返されても、そこに喜びは見いだせない。 「もう一回は証明されたんだし、何で今更繰り返してんだろ」みたいな感じになると思う。
日記を書いて添削しているうちにこんな時間になってしまった。 現在午前2時23分。 またガッチマンの「ALAN WAKE」を観ていこうと思う。
Googleのトップに出てたけど、今日は「丹下健三」という人の生誕100周年なのだそうだ。 100周年とか凄いよな。 1世紀だぞ。
「丹下健三」は一級建築士だったらしい。 うちの親父も一級建築士だ。 それで事務所の所長というか社長をやってる。 一級建築士ってそんなに凄いのだろうか。 でも、歴史に名を残せる人とそうでない人が居る以上、一級建築士もピンキリなんだろうな。 「ハンターハンター」でハンター試験に受かっても無名のハンターも居れば伝説のハンターも居るように。
そういえば、子供の頃は親父が設計に使った図面をよくうちに持って帰ってくれてたな。 真っ白な裏面が俺の落書き帳になってて、迷路とか「ドラゴンボール」や「幽☆遊☆白書」のキャラクターなんかを書きまくっていた。 お絵描きが好きな子供だったから、俺は。 でも、今はそんな図面も無くなってCAD(キャド)というPCソフトで全部設計するそうだ。 子供の頃は親父が図面を持って帰ってくれるのが嬉しかったのを思い出した。
ビン・ラディンが銃殺されてアメリカ国民が国中で盛大にお祝いしていたのを日本人の批評家が「人の死を祝えるなんて、お国柄なんですかねぇ」とか言っていたけど、今回の死亡事故に対するユーザーたちのツイッターの書き込みなんかを見ていたら日本人も大差無いように思う。 ただ、表立って祝うか、匿名でネット上で陰に隠れて祝うかの違いだけで。 根っこの部分は一緒じゃん。
ふと、小学生の頃に俺がせがんで母親に「僕らの7日間戦争2」の映画を観に連れて行ってもらった事を思い出した。 同時上映に「幕末純情伝」というのがあった。 91年の映画らしい。 ググったら牧瀬里穂が主演を務めた「沖田総司は女だった」という映画だったそうだ。 女が侍の格好をしていたのと、敵の侍を斬って縦に真っ二つになったシーンは覚えてる。 牧瀬里穂と言えば「新・西遊記」の玄奘三蔵役で俺には馴染みの深い女優だ。
「牧瀬里穂」でググって今現在の牧瀬里穂の画像を見たけど94年の「新・西遊記」の頃と比べて全然歳を取ってなくて綺麗だった。 タレントだし、アンチエイジングとかしてるんだろうな。
現在午前4時41分。 ニコニコでガッチマンの「ALAN WAKE」の23を観た(2週目)。 今日はそろそろ寝ようかな。 今日から「スーパーナチュラル」の2週目も観ていこうと思う。
今日は午後14時過ぎに目が醒めた。 外は雨が降っている。
「スーパーナチュラル」の2週目を観始めた。 序盤だし、あの子も観るだろうパートだからじっくり観てみる事にする。 なんか、今まで俺が観てきたリンクが消えてて、別のリンクだと外国語の変な字幕が入ってて、それがうざい。
シーズン1だとディーンが声も見た目も若すぎる。 サムもかなり違って見える。
現在午後16時19分。 歯医者に向かおうと思う。
歯医者に行ってきた。 でも歯医者は閉まってた。 もう、来週の月曜日に行くしかないか。 月曜日に開いているのは確実だから。 スーパーで買い物をして、コンビニでマガジンを買って、マクドで大月見バーガーセットとチーズバーガーを食べて家に帰った。 行きしは雨が少し降っていた。 帰りはポツポツだったけど。 現在午後17時32分。
「スーパーナチュラル」で唯一観れるリンクがでっかい字幕付きだ。 この字幕が邪魔だな・・・
俺が「スーパーナチュラル」を観始めるきっかけになったのは、弟が「スーパーナチュラル」シーズン1の1巻目をビデオ屋からレンタルしてきているのを見つけて、それを勝手に観たのが始まりだったな。
また右上の親不知が鈍く痛む。
ガッチマンの「ALAN WAKE」の24を観た。 これにて本編は最終回だ。 ただ、追加シナリオでこの後6回実況動画が続くけど。
宮崎勤の被害者の少女たちは俺と同年代だけど、俺と同年代でありながらも彼女たちはスマホどころかPCや携帯の存在すら知らずに死んだんだよな。 俺が幼稚園とか小学校低学年くらいのあの時代、まだそれらは普及していなかったから。 俺の同級生にもスマホの存在を知らずに20歳で死んだ奴も居る。 この年代でスマホを知らない連中が居るっていうのが意外だけど、事実なんだよな。
「スーパーナチュラル」の字幕に出てくるアルファベットをGoogle翻訳に打ち込んでみると「トルコ語」と出てきた。 そんなマイナーな言語の字幕だったんだ。
今日は、割れた鏡の破片を思いっきり手で握って、握力によってそれがスルっとズバっと手のひらの中を滑り通る想像が働いてしまう・・・ 鏡の薄い銀色の部分が手のひらや指を切り裂く想像が頭の中から離れない・・・ 俺も、もうある意味病気だな・・・
「スーパーナチュラル」シーズン1のエピソード5がリンク切れだ。 観れない。
割れた鏡の想像で恐ろしくてたまらなくなる。 「ぎゃああああ」って気分だ・・・
割れた鏡の断面のささくれ立ったヶ所で手のひらや指を切ったらどんな感触がするだろう。 ザックリ切れてしまうのか、パックリ切れてしまうのか、地味に切れてしまうのか。 そんな事ばかりを想像し続け、考えてしまう・・・ もう嫌だ・・・
割れた鏡のすぼまった方を持って思いっきり力をこめたら、ズルっと握力で鏡が絞り出されてく。 その時に手のひらや指がどんな風に切れるのか、とか。 その痛みを想像し続けてしまう・・・
「痛そうな想像」でググったらこんな記事が出てきた。 ベストアンサーのところ。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1170617216 「強迫神経症」の可能性もあるとか。 あまりに続くようなら、今度病院に行った時に先生に話してみようと思う。
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