今日は午前3時過ぎに目が醒めた。 この先弟が結婚したら、と想像してみた。 弟の結婚式とか行きたくないな。 「引きこもりの兄」「ニートの兄」とか、とても居心地が悪そうだ。 そして、この先弟に子供が出来たら、と想像してみた。 弟の子供が俺のとこの実家に来て、俺の両親を「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶ。 もはやそこに俺の居場所はどこにもない。 想像したら死にたくなった。
せめて俺に兄か姉が居たらな。 俺は長男にも第一子にも向いていない。
俺とか5年後くらいには野たれ死んでいたらいいのにな。
なんか複雑な心境になる。 弟が両親に孫の顔を見せてやるのはとてもいい事だ。 生涯結婚しないだろう俺には不可能な事だから。 でもその反面、そうなった状況というのが俺にはとても耐えがたく・・・
現在午前7時05分。 一体自分はどうやって死ぬ事になるんだろう。 そんな事を考え始めて、息が詰まるような感じになってきた。 痛みも恐怖も苦しみもなく、死んだという事にすら気づかずに逝きたいものだな・・・
癌の死に方を少し調べた。 痛みを抑えるために、「セデーション」という方法で意識を落として最後のお別れとなるのだそうだ。 意識がない内にあの世に逝かせる。 つまり、意識を落とした時点で、次に目覚めるのはあの世で、という事になるのだろう。 意識を落とす前に覚悟が必要になりそうだ・・・ 自殺の覚悟に等しい気がする。 恐ろしい・・・
何で人間はいつか死ななきゃいけないんだろう。 死ななきゃいけなくなるのなら、最初から生まれてきたくなんてなかった・・・
老衰以外の自然死ってないのかな。 ある日眠って、そのまま自然に死んでいた、みたいな形が理想なんだが。
俺みたいに一人暮らしで金のない人間でも、そのセデーションというのは受けられるのだろうか。
死ぬという事は性行為と同じく、俺にとっては後ろめたいものだ。 「そうでない状態」を保たなければ後ろめたい。 だから、たとえ自然死に襲われようとも「生きなくては、生きなくては」と抵抗が出たりするんだろうな。
よく「年齢は首に現れる」と言う。 それを意識し始めた時、俺の首はツルツルだった。 しかし、それを意識し始めて数ヶ月経ち、ここ最近首に皺が刻まれるようになってきた。 意識さえしなければ、俺は歳を取らずに居られたのかな、と思う。
ニコニコで「ファンシイダンス」という邦画を観ている。 ところどころでドキュメンタリー風に本物の坊さんが出てくる。 大体みんな20代なのだが、どれも30代や40代に見える。 20年前の映画だからな。 その時代時代によって人の顔の形は決まっているのかもしれない。 俺から見て10歳、20歳上の世代のおっさん達。 そのおっさん達はおっさんの顔をしているけど、歳を取ったからそういう顔になったという訳ではなく、元々世代ごとの顔の特徴がそんな感じなんだろうな。
メディアなんかを観てて思う事。 若者と言うのは情報を発信される側だけど、俺はもう情報を発信する側の年齢だよな。 人生25歳までが華だよな。 特に、俺みたいに家庭も仕事も関係のない人間にとっては。
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