リュカの日記

2011年01月12日(水)

今日は午前3時過ぎに目が醒めた。
この先弟が結婚したら、と想像してみた。
弟の結婚式とか行きたくないな。
「引きこもりの兄」「ニートの兄」とか、とても居心地が悪そうだ。
そして、この先弟に子供が出来たら、と想像してみた。
弟の子供が俺のとこの実家に来て、俺の両親を「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶ。
もはやそこに俺の居場所はどこにもない。
想像したら死にたくなった。

せめて俺に兄か姉が居たらな。
俺は長男にも第一子にも向いていない。

俺とか5年後くらいには野たれ死んでいたらいいのにな。

なんか複雑な心境になる。
弟が両親に孫の顔を見せてやるのはとてもいい事だ。
生涯結婚しないだろう俺には不可能な事だから。
でもその反面、そうなった状況というのが俺にはとても耐えがたく・・・

現在午前7時05分。
一体自分はどうやって死ぬ事になるんだろう。
そんな事を考え始めて、息が詰まるような感じになってきた。
痛みも恐怖も苦しみもなく、死んだという事にすら気づかずに逝きたいものだな・・・

癌の死に方を少し調べた。
痛みを抑えるために、「セデーション」という方法で意識を落として最後のお別れとなるのだそうだ。
意識がない内にあの世に逝かせる。
つまり、意識を落とした時点で、次に目覚めるのはあの世で、という事になるのだろう。
意識を落とす前に覚悟が必要になりそうだ・・・
自殺の覚悟に等しい気がする。
恐ろしい・・・

何で人間はいつか死ななきゃいけないんだろう。
死ななきゃいけなくなるのなら、最初から生まれてきたくなんてなかった・・・

老衰以外の自然死ってないのかな。
ある日眠って、そのまま自然に死んでいた、みたいな形が理想なんだが。

俺みたいに一人暮らしで金のない人間でも、そのセデーションというのは受けられるのだろうか。

死ぬという事は性行為と同じく、俺にとっては後ろめたいものだ。
「そうでない状態」を保たなければ後ろめたい。
だから、たとえ自然死に襲われようとも「生きなくては、生きなくては」と抵抗が出たりするんだろうな。

よく「年齢は首に現れる」と言う。
それを意識し始めた時、俺の首はツルツルだった。
しかし、それを意識し始めて数ヶ月経ち、ここ最近首に皺が刻まれるようになってきた。
意識さえしなければ、俺は歳を取らずに居られたのかな、と思う。

ニコニコで「ファンシイダンス」という邦画を観ている。
ところどころでドキュメンタリー風に本物の坊さんが出てくる。
大体みんな20代なのだが、どれも30代や40代に見える。
20年前の映画だからな。
その時代時代によって人の顔の形は決まっているのかもしれない。
俺から見て10歳、20歳上の世代のおっさん達。
そのおっさん達はおっさんの顔をしているけど、歳を取ったからそういう顔になったという訳ではなく、元々世代ごとの顔の特徴がそんな感じなんだろうな。

メディアなんかを観てて思う事。
若者と言うのは情報を発信される側だけど、俺はもう情報を発信する側の年齢だよな。
人生25歳までが華だよな。
特に、俺みたいに家庭も仕事も関係のない人間にとっては。


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