昨日からの徹夜明け。 映画「ベニスに死す」を観ていた。 ラスト3分くらいのところで、やっぱり親父に邪魔された。 汚い糞の音を聞かされた。 俺は気分が悪くなり、最後を目前にして映画を中断。 10分くらい中断してた。 そうだったな。 こいつは、俺に関するものならば、どんなものであっても台無しにしてやらなければ気が済まないのだ。 台無しにした上で無理やり割り込み、醜い自分を『これでもか!』と俺に見せ付けてやらなければ気が済まないのだ。 うんざりする・・ 「ベニスに死す」の内容は、タージオという絶世の美少年を目の当たりにした主人公がショタコンに目覚め、行く先々でタージオにストーキング行為を働く、というもの。 最後の最後まで、このショタコンはタージオに手を出す事はしなかった。 また、直接的に話しかける事もしなかった。 人生の成功者であるはずの主人公が、美少年の魅力に圧倒されて、その魅力の前に屈服し、なす術も無く自分自身の惨めさだけを思い知らされ死んでいく。俺はそんな風に解釈した。 まさに、「当然そうであるべき事が、そのままそうであるべきように終わりを告げた」と言った感じだ。 美少年を前にしたショタコンは皆、こういう風になるべきなのだ。 手を出すだなんてもっての外だ。 ラストシーンで、全身水着みたいなものを着たタージオが逆行に照らされるシーンがあったが、あれは主人公目線からタージオが全裸に見えるような効果を狙ってのものだと思う。 そんなタージオを目にしながら、主人公は身を打ち震わせて死んで行く。 実際は病によって寿命が尽きたという事なのだろうけど、「絶世の美少年、恐れ多くて手が届かない」といった様を表現しようとしたのだろう。 因みに、美少年役のビョルン・アンドルセンは自分的にタイプじゃないので、その美しさに感動する、みたいな感覚にはならなかった。 現在午前7時27分。
昨日に引き続き、今日も殆ど考える事をしなかった。 ずっとMXで好きな曲を落としたり、それをウォークマンに入れたりしていた。 久しぶりに宇多田ヒカルの「光」という曲を聴いた。 俺が19歳か20歳の頃の曲で、「キングダムハーツ」というゲームの主題歌でもある。 当時の俺は、この曲、この歌詞にとても心打たれたのを覚えている。 凄く元気付けてくれるような曲で、好きな男の子にこの歌詞のような事を言ってもらえたら本当に最高だろうな・・・、と感じてた。 その当時の自分の心境に対して、凄く安心させてくれようとしているんだ、という事が感じられる歌詞なのだ。 「さあ家族にも紹介するよ、きっと上手く行くよ」 「どんな時だって、ずっと二人で。どんな時だって、傍に居るから」 「先読みのしすぎなんて意味の無い事は辞めて、今日は美味しいものを食べようよ。未来はずっと先だよ、僕にも分からない」 「完成させないでもっと良くして、1シーンずつ撮っていけばいいから」 とか。 本当に大好きな曲だった・・・ それにしても、「先読みのしすぎなんて意味の無い事は辞めて、今日は美味しいものを食べようよ。未来はずっと先だよ、僕にも分からない」なんて台詞は二十歳を超えた自分には言えるような言葉じゃないな。もう年齢的に言って『先』が現れる頃なのだ。 でも、歌っているのが俺と同じ歳の人間だからどうなんだろう、なんて事を考えたりしていた事も覚えてる。 でも、その時ならまだ知らず、もう24歳だもんな。 『先の事を考えない』なんて事が許されるような年齢でもないか・・・ 今日久しぶりにこの曲を聞いて、色々な事を感じさせられたと思う。 現在午後16時07分。 今日はそろそろ横になろうと思う。
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