リュカの日記

2006年03月26日(日)

この世には救いも、神も仏も無いと思う。
あんなに幼く、年端もいかない少年達が、言葉にするのも躊躇われるような酷い仕打ちを受けている。
法律も正義じゃないし。
あんなものは、犯罪者に対して、政府が市民に示しをつけて見せるための茶番でしかない。
ドラマ等で、刑事や弁護士が「正義」を口に出すのを観ると嫌になる。
それらを正義とする事は、法によって与えられる刑罰を、犯罪者の犯した所業に「見合うもの」とする、感受性乏しい軽薄野郎のおめでたい戯言だ。
でも、一般的にはそれが正義で、それが見合うものとされている。
そういうのを見聞きするたび、
「ああ、やっぱりこいつらが言ってる事俺には納得できないな。でも、納得しないとこいつら俺に『社会不適応者』のレッテル貼って貶められるんだ」という気持ちになる。
また、一般人が一般的に持ってる道徳観念なんて、その法律以下のご都合主義に凝り固まった糞でしかないし。
一般人による道徳なんて「自分にとって益になるような都合の良い押し付けで、如何にもっともらしく相手を説き伏せ締め括れるか」が全てだもんな。
「自分がこの子に会いに行くのは、この子のためになる事だから」
「自分がこの子を誘うのは、この子のためになる事だから」
「自分がこの子を犯すのも、全部この子のためなんだ」
分かり易く通訳すると、こういう事になる主張、を繰り返す奴らを俺は腐るほど見てきた。

犯罪者の内面意識も、性的捕食者の内面意識も、大して変わりは無いと思う。
一部の少年(俺にとってのタイプの子)や、歳を経てない女の5割くらい、以外の人種が性的捕食者意識を持ってる。
大半の奴らがこの性的捕食者意識を持った人種として位置づけられる。
加害したい、可虐したい、搾取したい。
「自分自身の都合のために、相手に○○を加えたい」
こう考えると、犯罪者と変わらないよな?
人間の8割以上が、この性的捕食者意識を持っている。
この社会も道徳も、こういう性的捕食者意識を持った奴らによって形作られている訳だ。
「自分達の自分達による自分達のための社会」
犯罪なんて犯したもん勝ち、加害者は勝ち組で被害者は負け組。
捕まったって、被害者ほどの苦しみを、社会は決して与えない。
こういう風になっている。
社会は犯罪者の味方ではあるけど、その子達の味方じゃない。
痴漢騒ぎがあったとしても、大半の奴らが被害者ではなく、加害者側の立場から物を見るのが良い例だ。
その子達の味方をしない、ご都合主義の腐った社会が許せない。
そういう子達だけが隔離され、それ以外の奴らが干渉出来ない社会があったら良いのにな。

汚い奴らや腐った現実見聞きし過ぎて、本当、社会不信、人間不信になっていく。
あ、不信じゃないか。
不信ってのは「そうでないのに、そうであるように思い込んで拒絶する」みたいな意味だもんな。
「そうである」この世の中や人間達に対して、沸いて当然の蔑み感情持ってんだから、不信じゃなくてこれは正当な判定だ。
俺は、「私は"人間"としてこういう奴らが許せない・・」なんて意識は持ってない。
"人間"だったら、喜んでこういう最低を推奨するのがデフォだもんな。
むしろ、「"人間"として許せない」物事というのは、「弱い立場の人間が守られ、力を持った自分達が相手を貪れなくなる状況」だろ?
「自分の欲のためにか弱い存在踏みにじり、それによって自分が咎を受ける事は許せない」な人間の代表が、下衆共を『人間として許せない』なんて主張すんのは矛盾してるよな。

そういう汚い人間共の中から、神聖視出来る存在を見つける事が出来たのに、
その存在もまた、汚い人間共によって奪われ、汚され・・
これでもか!これでもか!と、グチャグチャにされ、また希望を失って。

あの子の誕生日に買い間違えた「マルボロミディアム1カートンのソフト」
そういえば、これはあの子の誕生日から引き継いできた消費物なんだ、と思い出したように考えた。
買った日に、一本だけ吸って、それからボックスを買いに行ったのだ。
「いつもと同じじゃないと嫌だ」という理由から。
現在、あの子の誕生日に買ったソフトが4箱半ほど残ってる。
『あの子の19歳最後の日に買い間違えた』だったら、もっとベストだったのだが。
大事に吸おう。

今日は午後16時過ぎに目が覚めた。
あの子について考えようとしてたのに、その瞬間弟が家に帰ってきて荒らされた。
うんざりした気持ちになって布団の中でうつ伏せになり、弟の出す物音に聞き耳を立て、そのまましばらくボーっとしていた。
音が止むのを待っているのだ。
音が止むまで、1時間半はイライラしながら待っていたと思う。
弟がまた家を出て行き静かになった。
今日は日曜だ。
静かになったので、コーヒーを温めあの子について考えようと試みた。
コーヒーを温めにリビングに行くと、そこで親父の姿を目にしてしまった。
親父が今日家に居るのは知っていたけど、改めて目にしてしまうと「絶対こいつに邪魔される・・」「俺が嫌がるのを知ったなら、余計に過剰に侵害してくる・・」
こんな感じで、
もしも思考に没頭できても、親父によって良いタイミングで邪魔されるに決まってる、というプレッシャーと、親父に対する憎しみ感情で気持ちが溢れ、考えるどころではなくなってしまった。

もしもあの子がそういう目に遭わされていなくて、現実に付き合わないまでも、ちゃんと関わる事が出来ていたなら。
自分の人生、どれだけ好転してたんだろう、と思う。
俺自身が真に認める事が出来る、人生のただ一人の理解者。
自分を最大に悩ませている出来事について、その子の意見を抱擁し納得し、意識の糧に出来ていたはず。
そう思える話相手が居るだけで、生き方人生全然違う・・・

今日はずっと物音に対するプレッシャーに怯えているか、胸が強く締め付けられる感覚を味わい続けているかのどちらかだった。
メッセの子から聞いた話などが意識され、心は締め付けられている感じなのに、頭はえらく冷静だ。
だから、結局は自分が苦しむ事を放棄して、目を逸らして逃げているような後ろめたさを感じざるを得ないのだ。


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リュカ

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