リュカの日記

2005年10月10日(月)

夢の中にガンダムSEEDのニコルが出てきた。
目の前にそのキャラクターが居て、本当に夢みたいな事に感じられた。
誰かが、硫酸の池の中に落ちてしまう。
大人だったか子供だったか知らないけど。
池の中には、硫酸だけではなく気持ちの悪い蟲が隙間が無いくらいにウヨウヨと蠢いている。
ニコルが、それを助けるためにズボンを脱いで短パン姿になり、素足でその池の中に入ろうとする。それを見ていて、止めたい衝動にかられる。
俺自身は視点だけの存在なので、ただ見ている事しか出来ないのだが。
そのままニコルがその汚い池の中にズブズブと入っていって、綺麗な子なのに汚れるんだとか、それが凄く嫌で悲しいようなやりきれないような気持ちになった。コーディネイターなので、皮膚が軽くただれるだけで済んだようだけど。蟲にも触れて。
何だかとても嫌だった。
今日は午前7時頃に目が覚めた。

俺もガンダムに結構ハマってるみたいで、一度見た話をもう一度落として何度も観返したりしていた。今日はそんなにのめり込めない。
なんだか、息が詰まってきた。

何もせず、何も浮かべていないのに、絶望感が薄れて妙な高揚感が沸いてくる。嫌な事を浮かべても何だか軽い感じで、不謹慎に感じられる。
こういうのは望んでいない。
平安を自分自身で拒絶しているといっても、平安を望んで良い納得の行く理由などどこにも無いのだ。

最初高揚かと思っていたけど、今この感覚に意識を集中してみると、痛みを感じる苦しみかもしれない、と気づく。
じわじわと着て嫌な感覚だ。
何で俺はこんなに真逆のものを識別できないのだろう。
それとも、途中で摩り替わっていったのか。
今実感しているものは苦しみなんだと認識できる。

本当なら苦しい立場にあれば「これが高揚であるはずがないんだ」と出来るんだろうけど、俺の場合不謹慎なものに欲情するような性癖なので、そこら辺が曖昧になってしまう事が多いのだ。
今現在の俺は、喜びを受け入れる事を納得しないので、苦しみだろうが喜びだろうが、どちらにしろ自分の中で「不快」と片付けてしまう事が殆どだけど。でも、昔から嬉しいような喜びのような感覚がストレスだったところもあったと思う。「これはいつまでも続くものじゃだろう」「嬉しい事は怒られる」みたいな感じだろうか。
心にクルような中毒性のある感覚が嫌なのか。
ずっと浸っている訳には行かないのに、そのまま一生浸りたくなってしまったりで、プレッシャーを感じたり。
そういう子が酷い目に合うのだという事を知る前も、少年に対して沸いてくるような感情が、消化出来るようなものではなかったので不快に感じている部分もあったと思う。
本当は凄く苦しいのに、それを「気持ち良い」と捉えて性癖が固まってしまったようなところもあるのだろうか。
容姿が好きな人間やキャラクターが陵辱されたり傷つけられたり殺されたりするような陰鬱なものを、最初っから性癖にしていたし。
元々生まれつき、嬉しい高揚と苦しいストレスを識別する認知力みたいなものが足りなかったのかもしれない。
と、少し自己分析してみた。
他人と比較した事が無いので、それが一般的なのかどうかは知らないけど。
どちらにしろ、自分は嫌悪されるべき不謹慎な人間だ。

少しまとめて考えた。
俺がよく使う言葉で「そういう子」というのは、俺が好きになる類の少年。
「そういう目に合わされた子」というのは、好きになる類の少年でありながらも、汚い奴らに陵辱されたりしてしまった子。
俺の知る限り、最悪な事にそういう子でそういう目に合わされていない子は一人も居ないので、この2つの言葉は自分の意識の中でも混同されがちになるのだが。
とりあえず、「そういう子」というのを、「そういう目に合わされた」というのを除外して考えてみた。
他人に献身的で純粋で心優しい、というのはそういう子が共通して持つ人格なのか。それだけ素晴らしい存在なのに、自分を殺してしまっている様が痛く感じる。でも、俺がそういう子に惹かれるようになったのは、そういう部分も強いと思う。
そういう目に合わされていない上で、そういう優しさを向けてくれるなら、それはそういう子が共通して持って生まれた普通の事なので、別に可哀想な事でもないのかな。なんてのは都合の良い考え方か。
自分なんかよりもずっと素晴らしい存在に、自分を殺させて良い訳が無いのだ。自分はそこまで偉い人間ではないのだから。(もちろん、身分とかじゃなく)
でも、そうやって少年が献身的に関わってくれる事は凄く居心地の良いものに感じてしまう。でも、それは酷い事なのだ、と。
自分を殺させてしまっている事にしかならない。
でも、自分を偉いと思い込み、ふんぞりかえってそれを「良し」とし、当然の事のごとく受け取ろうとする自己中で腐った奴らはごまんと居る。
というか、殆どそうか。
だから、俺は逆にそういう子に自分を殺させないように関われたらどれだけ良い事なんだろう、と感じていた。
でも、それは自分の求めていた居心地の良さを受けない事になるので、思い描いていた程の嬉しい関わりでもなくなるんだよな、と。
そういう子自身がそういう子の献身的な感情を受ける場合はどうだろう。
受けるその子自身が最初っから持ってる人格なので、その子自身が自分を気遣ってくれる少年を見ても「可哀想」という事にはならないのだろう。
そして、その子自身がそれを幸せな事だと喜んだとしても、それは自己中な事にも酷い事にも腐った事にも最低な事にもならなくて。
何だか、それが凄く羨ましく思えてしまう。
と、また自己中な事を考えてしまった。
これだけまとめるのにも何度も何度も邪魔されて、1時間半くらいかかってしまった。本当なら10数分で終わるのに。

息苦しい・・
何も求める訳にはいかないし、自己中な居心地の良さを望んでしまう自分自身にも嫌気がさすし、何もかもどうにもならない絶望的な状況なんだという事も常に意識されてるし、色々薄れて不謹慎になりつつあるのも我慢できないし、何から何まで嫌な事づくしだ。
もっとも、不謹慎になり過ぎて、嫌だと感じる事さえ無くなってのほほんと過ごしていくようになってしまったら、人間として終わってるけど。
何だか、俺はこうやって沈んだり考えたりを繰り返しながら、どこか無意識的に時間が過ぎ去っていく事を待っているようにも感じてしまう。
いくら時間が過ぎようが、何も解決なんてしないのに。


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