徹夜明けでそのまま学校へ行ってきた。 授業中、今までずっと繰り返してきた、考えてもどうにもならない現実が意識されてしんどかった。 一般的には、それに伴う嬉しささえあれば、認めたくない事実そのものに目をつぶって受け入れたり、慰めにして善しとしたりするのだろうか。 今週号のシガテラを読んでいても、そんな印象を受けた。 その話をした後にあの子が色々言ってきたのも、それと同じ考え方で俺が受け取るものと見たからなのだろうか。 それが一般的であり道徳的なのだろうか。 終わった事を、とか、これからを、とか。 でも、俺はそんな事になってない、じゃないと絶対に受け入れたくも納得したくも喜びたくもない。 そういう訳にいかない、というのもあるけど、たくない、というのが圧倒的に強い。 いつからか、考える事からなんとか逃げ出せないだろうか、という事を前提に考えるようになってしまっている。 もう、以前とは、自分の中の条件そのものが変わってしまった。 希望も喜びも、うまれようが無くなった。
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