きょうは、約1ヶ月ぶりくらいに朝ゆっくり寝ていられる日だったので、 11時くらいまで、眠りたいだけ眠ることができた。 しかも、この連休中にどうしてもやらなければならない仕事もわずかである。 そんなわけで、久しぶりに疲労感から解放されてのんびりした気分だった。 この日誌をその日のうちに書けるというのも、実に久しぶりのことだ。 午後、夏休み以来久しぶりに「オペラ座の怪人」の「序曲」部分の編曲を 進めることもできた。 10月中に何とか2曲ばかり編曲して、11月に入ったら、 それも加えて本格的な練習に入りたいものだ。 けれども、また来週の仕事が始まると、編曲は中断せざるを得なくなる。。。
2時間ほどそれに夢中になっていたのと、オセロのことを考えていたので、 練習の15分ほど前になって、ふっと思い出して焦ったのは、 きょうから演歌の練習を始めなきゃならないのに、用意してないことだった。 あわてて倉庫をあけて取りに入って、ど演歌えきすぷれすの1番と3番を 取ってきたつもりが、間違えてまた3番を取りにあけて入り直す羽目に。。。 楽譜ひとつ取り出すために、鍵を4回さしこんで回さなきゃならないのだ。 1番と3番を途中からつなぐ計画だったけれど、 スコアを見て考えているうちに、第3番だけで行くことにした。
だから、市民音楽祭の曲目はこうである。 1、シャンソンメドレー 2、ど演歌えきすぷれすの第3番 日仏の演歌メドレーみたいな趣向になってしまった。
きょうはシャンソンメドレーのミュゼットの代わりに使う シンセを持って行ったのだが、実際演奏の時に弾いてもらったら、 1ヶ月ほど前に用意しておいた音色がまったくダメだということがわかった。 またやり直しである。これは実にやっかいだ。 今月中にうまくいくかどうか、なかなか微妙なところだ。
「オセロ」は、きょうは第5楽章の27小節目以後を重点に練習した。 ここ数日考えた結果、オセロがデズデモーナの首を絞めるのは35小節目と 確信することができたので、そういう演出に切り替えたのである。 今まで私は、デズデモーナを殺す前に、オセロが逡巡した末逆上しなきゃ いけないと思って、それが35小節目からの4小節間だと解釈していた。 だから、デズデモーナの死の決定的瞬間は、39小節目であると。。。 けれども、木曜日に原作の第5幕を何年ぶりかに読み返してみて、 原作のこの場面があまりにもあっけないのに驚いた。 オセロの殺害への言動は実に直線的である。 オセロが寝室に入ってから、もうデスデモーナを殺すことしか考えてない。 デスデモーナも死の直前まで懇願はしているが、すでに覚悟はできている。 そうならざるを得ないところまで来てのクライマックスのようだ。 それをリードが音楽にしているのなら、39小節目を頂点にする必要はない。 35・36小節目はすごい形相で首を絞めるオセロを思い描き、 37・38小節目は力を失って行くデスデモーナを思い描こう。 39・40小節目は、デスデモーナの息絶える前の台詞を思い浮かべよう。 デスデモーナ「無実の罪で死ぬのです」 エミリア「ああ、誰がこんなことを」 デズデモーナ「誰でもない、、、自分の手で、、さようなら、、 旦那様(オセロ)によろしく、、、ああ、、さようなら、、、」
ちなみに、この物語はじれったいすれ違いの連続で、 ばかばかしい誤解と思いこみのためにデズデモーナが理不尽な死を迎える、 もう、私自身としては大っきらいな話である。 読んでも、劇を見ても、ヴェルディのオペラを見ても、 どんな形でもイライラさせられるばかりの物語である。 なんでこんな物語が世界の名作のひとつとして重宝され、 何人かの作曲家が音楽にするほどの影響を与えたのか理解に苦しむ。 けれども、物語の良否は別として、このリードの「オセロ」については、 ますます音楽的なおもしろさを見出すことができたようだ。
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