| 2002年05月03日(金) |
「山口会 民謡まつり」に賛助 |
名岐バイパスの渋滞には悩まされたものの、名古屋高速に入ったおかげで 12時20分ごろには市民会館に到着することができた。2時間近くかかった。 会館の向かい側のビルの奧にあった中華料理屋の炒飯が実に美味で気に入ってたので、 何年かぶりに食べようと楽しみにしてたのに、店が撤退していた。。残念。 しょうがないから近くのきしめん屋で急いで昼食をとって、 市民会館の前を通って駐車場に荷物を取りに戻ろうとしたら、職長が呼び止める。 回り舞台を使うため、もう椅子並べをしているから見てほしい、と言う。 回り舞台!! 中ホールにさえそんな設備があるとは、さすが。。。 心やさしい職長は駐車場まで同行してくれて、重いシロフォンを運んでくれた。 ちゃんとついて歩かないと、頼んだことを3分以内に忘れられてしまうのが 不安だったのかもしれない。・・・うん、きっとそうだ。
舞台裏に入ると、回り舞台の後ろ半分に奧に向かって椅子が並べられている。 ほほう、これが回り舞台か、、、てな感じで、妙に感心してしまう。 (円盤が床にはめこまれているだけなのにね) 舞台の照明が赤くなって、その光が薄い幕を通して舞台裏を照らしているので、 たったひとり定位置に座って調弦しているS氏が、哀愁のベーシストを演じていた。 離れたところから見れば、彼だってそう見えることがあるのだと、大発見した。 せっかくいい光景を目にしたのに、仕事はしなければならないので、 回り舞台の中に入って、きょうの参加人数を思い出しながら、椅子を並べ替える。 指揮譜面台と指揮台はいらないので片づけようとしたら、重いこと、重いこと、、、 中ホールといえども、さすが名古屋市民会館ともなると気合いの入れ方が違う、と ここでも妙に感心してしまった。
時間の読み違いか、指示違いか、団員のスタンバイが早すぎた。 30分以上も回り舞台の上に着席して待つ羽目になった。 途中で、あと15分は時間があると伝えても、何人かは立ったけれど、 大半は相変わらず座って待っていた。 黒幕や職長のせいにしてはいけない、馴染みの薄い会の進行は見当つかないのだから。 出番の10分ほど前から、ぐったりしたような姿勢が増えて、まずいなぁと思った。 その間私は、舞台を見たり、こっそり客席に入って、どう聞こえるか探っていた。 確かに客席は広くないのだけれど、舞台全体は侮れないほど広い。 客席がすっぽり入ってしまいそうなほど広い、といっても大げさでない。 天井も、見上げているうちに目が回りそうになるほど高い。 反響板なしでどれだけ客席に音が届くのか、不安になってしまう。。。
もうすぐ出番というときに、直前の音合わせはどうしたらいいかという質問が出た。 それはさっきから、どうしたらいいだろう、、と途方に暮れてたことなのだが、 質問されて、かえって腹が決まった。 幕が上がるまでは出演者たちも三味線などの音取りを舞台上でしているから、 舞台が回っている間に音出しすればだいじょうぶ、と指示した。 楽しそう、、と思ったのだが、気持ち悪くなりそう、という反論も出た。 実際には、回り舞台が止まってから、もう1度音出しする余裕があった。
演目は、まぁ、しっかり受けてたのではないかと思う。 細かいところまでは知らない、客席のひとりひとりの表情まで探れないから。。 曲の中で手拍子が聞こえ、曲の切れ目のたびに拍手があり、それだけでなく、 拍手の中にかけ声や口笛が聞こえたなんてことは今までになかったと思う。 それが主役の三味線を弾いている会主に向けられたものであるにせよ、 その15分間を盛り上げるためにわれわれが呼ばれたのだから、成功なのだ。 吹奏楽なんてはじめて聞いたという人に、吹奏楽もなかなかおもしろいと 思ってもらえるようなことがあれば、二重の成果ということになる。
帰りぎわに会主の山口先生と挨拶した。 私にも、黒幕にも、玄翁にも、それぞれに同じことを言ってみえた。 「また是非機会を作りますので、どうかいやがらずに、よろしくお願いします」
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