おととのφ(..)メモメモ
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神戸よ――悲しみを超えて 阪神大震災 陳舜臣
我が愛する神戸のまちが、潰滅に瀕するのを、私は不幸にして三たび、この目で見た。 水害、戦災、そしてこのたびの地震である。 大地が揺らぐという、激しい地震が、三つの災厄のなかで最も衝撃的であった。
私たちは、ほとんど茫然自失のなかにいる。
それでも、人びとは動いている。 このまちを生き返らせるために、けんめいに動いている。 亡びかけたまちは、生き返れという呼びかけに、けんめいに答えようとしている。 地の底から、声をふりしぼって、答えようとしている。 水害でも戦災でも、私たちはその声をきいた。 五十年以上も前の声だ。 いまきこえるのは、いまの轟音である。 耳を掩うばかりの声だ。
それに耳を傾けよう。 そしてその声に和して、再建の誓いを胸から胸に伝えよう。
地震の五日前に、私は五ヶ月の入院生活を終えたばかりであった。 だから、地底からの声が、はっきりきこえたのであろう。
神戸市民の皆様、神戸は亡びない。 新しい神戸は、一部の人が夢みた神戸ではないかもしれない。 しかし、もっとかがやかしいまちであるはずだ。 人間らしい、あたたかみのあるまち。 自然が溢れ、ゆっくり流れおりる美わしの神戸よ。 そんな神戸を、私たちは胸に抱きしめる。
(1995年1月25日付け神戸新聞朝刊より 転載)
あの震災から一週間 届けられた朝刊の一面に載っていた。 それまで よく知らなかった この作家の名前は この日から 強烈に インプットされた。 「神戸市民の皆様・・・・そんな神戸を 私たちは胸に抱きしめる。」 涙が止まらなかった。 声をあげて泣いたような気がする。
地元百貨店で開催されている展覧会に出かけた。 直筆の原稿が たくさん 展示されていた。 パソコン入力ではない 手書きの温かさ 重さ。 その中で ひときわ この神戸への詩は 光っていた。 脳内出血の後遺症だろうか・・ いびつな文字には 神戸への想いが 溢れていた。
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