ポール・オースターの「偶然の音楽」読み終わった。
ポール・オースターの作品って読んで得るものがハッキリしてない気がする。気がつけばすでに読んだことが自分の一部になってるんだよね。すべての小説がそうじゃないのか?って言われると確かにそうなんだけど、そこらの小説よりも自分の深いところに入っとるような。こういうのは「深く共感する」というのかな。なんか違うなー。例えば、もう何年も会っていない幼なじみや離れてしまった友達を今でも自分の中に感じるようなもの。大事ぃところにいてくれるのです。
イラク人虐待について。
例えば映画で、作られた映像(ユダヤ人虐待などの)を観るだけでも頭がおかしくなりそうになるよね。 でも、今回公開された映像は当たり前だけど映画とは違うリアルなもの。 暴力を受けるイラク人の方たちの姿を見てショックだった(自分の想像の範囲内をはるかに超えていた)のはもちろんなんだけど、何枚かの写真では暴力を与えながらもそれを見て笑っている兵士が写っていた。それを見て怒りとかショックというよりも人がそういうふうになるっていうのがすごく怖いと思った。もちろん加害者に対する激しい怒りもあるのだけれど、その一方で彼や彼女たちもある意味では戦争の被害者といえるよね。 例えば全世界から戦争なんてものがなくなってしまえば「兵士」という存在は無くなる、あるいは規模がとても小さくなるわけで、そういう時代であれば暴力を与えていたアメリカ軍兵士(という言葉自体が無くなってほしい)たちだってあんなふうにはならんわけで。
結局は「戦争反対」という、ずっとずっと前から言われてきた意見にたどり着く。僕も色々考えても結局はそこにいくし、ほとんどの人もきっとそうなのだから「戦争反対」っていうのは正しいことなんだ、絶対。
他に最近のニュースで気になったこと。 美術品が展覧会などの時に貸し出される際にかけられる保険の値段が高くなっていってるんだって。テロ保険というもので、これのせいで美術展とかはそうとう痛手を負ってるらしい。めっちゃバカらしいことだよねこれって。
「芸術や文学が、我々にはこんなにも共通のものがあると叫んでいる」っていうのは文芸ジャンキー・パラダイスのカジポンさんの言葉なんだけど、ほんとその通りだと思う。 海外の映画を観たり小説を読んでその中に自分を見つけることだってそうだし、絵をみたり、音楽を聴くのには言語なんか関係ない。そう思うと「芸術」ってのは、人と人が繋がるうえでのすごく有効なものだよね。それなのにテロとか戦争とかくだらないもんで足を引っ張ってどうするんですか。新しい兵器を開発したり、武器を作ったりするお金があるのならそのぶんを芸術のために使ったほうがよっぽど有益だろ。
寺山修司さんの「書を捨てよ、町に出よう」っぽくいえば「武器を捨てよ、芸術=人に触れよう」って感じですわ。芸術に触れるってことは人に触れることにもなるから。比喩的な意味でも直接の意味でも「人に触れる」ってすごく大事なことです。家にいながらにして世界中の人と握手や抱擁できる力を持つ芸術ってのはやっぱすごいなぁ。
* カジポンさんの「文芸ジャンキー・パラダイス」はこちらです。以前にも紹介しましたし、リンク集からも飛べます。それでもまたここで紹介するのはそれだけ素晴らしいから。↑に書いた意見にしてもすごく影響受けてると思います。芸術だけでなく、今回の戦争に関しても深く考えておられるし、掲示板での意見交換(芸術に関しても戦争に関しても)も活発でほんと勉強になりますよ。
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