僕は本を読むときに栞は使いません。 栞とか出版社のアンケートをずらすのはなんかヤ!
それじゃあどうやって目印付けてるのといわれるとそれは本のカバーをはさんでるんですね〜。わかるかな?右側のカバーを読んでたページにはさんでおくの。 そんな事したらもちろんカバーは痛むし破ける(実際破けた事アリ)んだけどこの方法をあえて選んでる僕・・・
なぜかっつ〜と小学校の時に尊敬してた人がこういう風に本を読んでたからなんですね、友達のお兄さんで5,6才くらい差があったと思うんだけど小学校の時はよく遊んでもらっててなついてたと同時に尊敬(かどうかは今となってはハッキリとはわからないのだけれど)もしてたと思うの。 んで遊びに行った時にたまたまカバーで栞をしてあるのを見つけて「オォ〜、なんかいい♪」と思って以来、僕もこういうふうな癖(習慣)がついてしまったというわけです。
話しはかわって今日も「ジコチュー」言われる。そんな事言われたって意識してジコチューしてるわけじゃないのでどうしようもないんだけどあえて反論させてもらうのならば「ジコチューのどこが悪い?」って感じです。 だってこの世界に生きている自分は自分に入ってるんだから自分の目でこの世界を見て、自分の肌でこの世界に触れて、自分の耳でこの世界を聴いて、自分の心でこの世界を感じてるんだからそれってようするにジコチューじゃん? そうなるとこの世の中でジコチューじゃない人なんかいないわけで・・・みたいな反論してみる。
「ジコチュー」言われてもとりあえず自分から進んで人に迷惑をかけているわけではないのです。
だけどかな〜り迷惑かけておるとは思います。
それでも助けてくれる人がいる「俺」に僕は自信持ってます、うむ。
っていうかジコチューいいじゃん。ワガママいいじゃん!ワガママな人ってなんだか魅力的じゃん?だって人生の本当の主役なんってもんは自分しかおらんのだから多少ワガママにふるまうほうがイイと思うのよ、そう思うのは俺だけでしょうか? っていうかみんなで集まって誰か一人の話をみんなが聞いてあげてそれに対してお愛想笑いとかしてあげるのって俺の大嫌いな事です。
人に意識して気を使うのは疲れるのではなかろうか?
意識せずに困ってる人の事とか気づいてあげられる人間ってステキではなかろうか?
それでも、やっぱ俺は俺のままでいくっきゃない!
もう少しで体育祭があります。今年から文化祭と体育祭が一緒になったんでまぁ正確にいうのならば体育祭と文化祭ですね。 体育祭、何個か種目があってそれぞれででたい種目とか選んでいいんだけどやっぱりでたい人とか少なくってそれで一人平均2種目でればいいのに俺がでるのは4種目です。 なんか誰も手あげてないとあげたくなんじゃん?そんな感じで「障害物競走」と「綱引き」と「玉入れ」と「大縄跳びクイズ」にでることになっちゃいました。 一番やりたくなかった「棒倒し」にでなくてオッケーなんで今年も安心。だって去年見たらマジで危なげだったし〜(爆) ふと思うとアリキタリの事しか(↑)しないんですね、うちの高校ってば。 個人的には「クラス全員リレー」とかしたかった!中学の時に全員リレーしたんだけどあれはいい競技です。走るのが好きだからそう思うんかもしれんけど走る時のクラスの人の声援ってすごくいいっぽい。 とはいえ、その声援を意識するのはゴールにはいった後なのだけれどもね。だって全力で走ってる時って声は聞こえても何を言ってるのかまでは考えれないもん。
映画について語りたい今日この頃。しかしながら語る相手はなかなかいない我が身の回り(涙)
な〜んかね〜・・・ 友達たち「日本の映画ってやっぱダメだへ〜ん?」 ゆうじ「そんなことないって!Love Letterにスワロウテイルに四月物語にあと田中麗奈が出演してるはつ恋とかもいい映画じゃん!」 友達たち「・・・全部知らん」
・・・みたいな感じなのです。もちろん映画が趣味の人間ばっかじゃないしたとえ映画人でもまったく好みが同じわけじゃないってわかってるんだけどやっぱり全然わかってもらえないと寂しいのです。はぅ〜 やっぱり俺の交友範囲が狭すぎるっつ〜事でしょうかねえ?だから映画好きに出会わないんだろうか? ん〜、だけど初見の人と話すのはかなり苦手なんですよぉ。長男だし、人見知りが激しいんでしょうかねえ? 他人に対する好き嫌いもかなり激しいと思うし。 まぁそんな自分が好きでもあるけれども♪
最後になったけどHPの構成を変えてみた。どうかなあ?
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