風太郎ワールド


2003年05月27日(火) 体育で1をもらった

小学校4年生の時に、体育で「1」をもらったことがある。1番ではない。5段階評価の1。最低点だ。

確かに、私は運動万能のスーパースターというわけではない。しかし、1をもらうほどの運動音痴でもない。実は、腕の骨を折ったのだ。

体育の授業で、その日は鉄棒だった。先生の前で順番に逆上がりをやらされていた。私は蹴りが弱いのかまだ回りきらない時がある。順番を待つ列の中で、ひとり足を振り上げてイメージトレーニングをしていた。すると、足を滑らせてひっくり返ってしまい、ふと見ると左肘近くで骨が折れ皮膚を突き破りそうになっている。結局、その学期は体育の授業を全休。ずっと見学していた。

小さいころの私は骨が弱くて、小学校2年生の時にも左足脛の骨を折った。昼休みにひとり校庭の一角で、50センチほどの高さの岩から飛び降りて遊んでいたところ、何度目かで立ち上がれなくなった。脛の周りが青く腫れている。始業の鐘が鳴って焦るが、動けない。近くを通った上級生のお兄さん達が保健室まで運んでくれた。

それにしても、鉄棒をする前に地面でひっくり返って腕の骨を折るなんて、滑稽なくらいに軟弱だが、それは私の体育技能とは別問題だろう。体育の授業中に負傷した生徒に1を与えるとは、先生も少し非情ではないか。大相撲でも公傷制度がある。今の時代なら「訴えてやる!」ということになるかも知れない。

体育で1をもらった私はかなり落ち込んだが、それ以上にショックだったのはオヤジだったはずだ。

今は亡きオヤジは、若い頃運動万能で暴れん坊だったらしい。チンピラに喧嘩を売られて、7人川に投げ込んだという武勇伝の持ち主だ。場末の酒場で人違いから日本刀で斬りつけられ、



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口では何も言わないが、自分の息子が体育で1をとってくるなんて、心配を通り越して屈辱であったに違いない。私の骨折が直ってからは、毎週末のように小学校の校庭へ連れて行き、逆上がりから、ウンテイ、自転車の練習まで、あらゆる運動を教えてくれた。

今思い返せば、覚えが遅くてなかなか上達しない私を、一度も叱ったり怒ったりしたことがない。自分で模範を見せると、私が出来るようになるまでいつまでも見守っていた。

私が中学に入ると、ブルワーカーという筋肉トレーニング機器を通販で買ってくれた。級友の間で卓球が流行ると、私を卓球場へ連れて行き、見事なラケット捌きで私の下手なボールを繰り返し打ち返してくれた。

骨を折ったおかげで、オヤジと過ごす時間がたくさん出来た。多くのことを習うことが出来た。

最近散歩中に鉄棒を見かけ、懐かしくなって久しぶりに逆上がりを試みた。懸垂逆上がりも3連続前回りも難なくできた。

体育でもらった1は不名誉な記録には違いないが、その後の私の人生にかけがえのない大切なものを残していってくれたようだ。


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