風太郎ワールド


2003年03月24日(月) 土俵が違う

イラク攻撃を巡る賛否。どちらの側も自分こそ正義と信じている。判断の材料となる事実にそれほどの違いはない。にもかかわらず、話が噛み合わない。前回、そういう話をした。

議論の土俵に上がれない。こういう溝の深さを初めて感じたのは、もう20年以上も昔。

日本の大学で、英語を勉強する一環として、英語クラブに所属していた。しかし、日本人だけで英語を練習しても本物ではない。そこで、最大の年中行事である夏合宿に、英米出身のネイティブの人たちを10人以上も招待して、英語の教えを請うたことがある。

皆、大学の教授や講師などの知識人。単なる英語の反復練習やスピーチの審判だけではもったい。ということで、いっしょに討論に参加してもらうことにした。合宿前には、二人の教授に講演も依頼した。私が提案したトピックは、「広島・長崎への原爆投下」。

実は、この講演が、その後私の考え方を根底から揺すぶる、長い葛藤の始まりとなろうとは、まだ知る由もなかった。

イギリス人の教授は、ひとしきり原爆投下を批判した後で、真っ直ぐに聴衆の目を見つめ、静かに語りかけた。

日本は広島・長崎のことしか話さない。しかし、大量虐殺があったのは日本だけではない。ドレスデンのことを何故日本人は話さない。

恥ずかしながら、当時私はドレスデンの大爆撃の事は詳しく知らなかった。また、日本で教育を受けてきた範囲では、広島や長崎に原爆を落とされ、東京大空襲を受けた日本は、先の対戦の「犠牲者」の一つだという、根拠のない印象を持っていた。さらに、日本は唯一の原爆被爆国、世界中から同情されているはずだと、非常にナイーブに思い込んでいた。

そこに、初めて聞くドレスデンの話。イギリス人の教授と私の間には、無視できない温度差が存在する。足元の地面が少し揺れたような、落ち着かなさを感じた。

もう一人の講演者は、アメリカ現代史専門のアメリカ人教授。フルブライト交流プログラムで来日2年目。非常に進歩的で、ニューレフトと呼ばれた。幅広い見識から、原爆投下決定に到った、アメリカ国内および国際政治でのさまざまな駆け引き、思惑などについて話をしてくれた。その教授が、講演後いっしょに帰る途中、思いもかけぬ話題を持ち出す。

「いま、とても興味深い本を読んでいる。太平洋戦争の時、日本兵がフィリピンの住民に対して残虐行為を行った。それを心理学的に分析しているんだ。ところで、君に聞きたいのだが。こうして私が接している日本人は、普段は非常に平和を愛し、おとなしい。なのに、何故フィリピンではあれほどひどいことをできたのか、君はどう思う?」

私は不意をつかれて何も言えなかった。というか、フィリピンで日本兵が何をしたかなんて何も知らなかった。

この合宿をきっかけに、私は、どうも日本人の間で共有されている歴史認識と、その他の国の人たちの認識には、かなりギャップがあるのではないかと思い始めた。

それと、日本の学校をはじめ、我々が習う歴史に関する情報には、ぽっかり抜けている部分がある、というか、必ずしもすべての知識が網羅性を持って伝えられているわけではないらしい、ということに気付かされた。

その頃の私は‥‥

―― 続く ――


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