ぼんのう
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2004年07月24日(土) エッケホモ(この人を見よ)



映画「パッション」(原題:The Passion of the Christ)







一昨年、マイケルムーアの「ボウリングフォーコロンバイン」の痛烈なメッセージに深い感銘を受け、我輩として2002年のトップシネマであったと、日記には書いた。
それ以前に、あらゆる年において、我輩的トップムービーがある。「ミッション」「シンドラーのリスト」「マイケルコリンズ」「ガンジー」・・・



しかし、この映画は、
我が生涯、越える作品のない、至高の映画だと言いたい。



キリスト教新約聖書やカトリック(監督のメルギブソンは敬虔なカトリック信者)の基礎知識が必要な映画である。マグダラのマリア救済のエピソードやイエズスの十字架上での叫びの意味するところ、聖ヴェロニカの布のエピソードやローマ兵がわき腹を刺した際に浴びた血と水のエピソード・・・。

正直な話、日本人のメンタリティに全く合致しない映画であるのは確かである。クリスチャンでないかぎり、またかつて信仰を抱きつつも、少し離れてしまった人間でないかぎり、魂に響かない作品である。
だが我輩含めて、信仰から離れていた者として、涙なしに見ることができない映画である。そして、映画が終った瞬間、何かを回復することのできる映画である。


提督であるピラトが、罪なき罪に問われているイエズスを示し、

「この人を見よ!(エッケホモ!)」


一つも罪のない人間を、罪深き人類が裁こうとしている瞬間。
それは同時に、映像の外側にいる我々に対して向けられた叫び声。
我々はあの民衆の中にいる。
我々はあの中にいる。
侮蔑の言葉を投げかけている人がいる。あれが我々だ。
理性を失い、十字架を背負う人を殴る人がいる。あれが我々だ。
職務に忠実であろうとし、死刑囚を導くローマ兵がいる。あれが我々だ。
偉大なる師が去ろうとして泣く人がいる・・・しかもその師の本当の存在意義を知ることもない無知な人がいる。あれが我々だ。
そして、神の涙の一滴に恐慌する民衆がいる・・・
全て我々だ。



死したイエズスが下ろされる。我輩は、十字架の傍で骸となったイエズスを悲しく見つめるローマ兵。帝国に忠誠を誓う兵士は、忠誠心のままに、罪なき人を殺めた。帝国の威信のための行動・・・その先にあるのは、新たなメタノイアであると信じたい。
我輩にも、その時はくるのであろうか?


ANDY 山本 |HomePage

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