ぼんのう
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「不在の騎士」(イタロ・カルヴィーノ著)
なんとも不思議な本である。そもそも何でこの本が我輩の手元にあるのか、わからない。いつ買ったのかもわからない。如何なる動機で購入したのかも、全く判然としない。しかし今の我輩にぴったりな寓意小説であるのは確かである。この世に偶然は存在しないのか?この本が今、我輩の手元にあるのは、何かのシンクロニシティーが働いたのか?答えはわからない。
日本ではマイナーであるが、イタリア小説界の重鎮、イタロ・カルビィーノは1923年キューバで生まれ、イタリアに帰国し、第二次世界大戦中はムッソリーニ政権に対抗するパルチザンに参加し、戦後小説家となり、1985年に逝去。パルチザンでの経験が、同氏の文学的出発点となったと言われている。
内容は割愛する(図書館で見つけたら、是非とも読んで欲しい)。一見すると欧州中世時代を舞台としたファンタジー小説に見えるが、実は現代という、無個性なる時代への寓意あふれる警鐘の本である。 これが書かれた1950年代末を、カルヴィーノは
「エキセントリックでない世界、 もっとも単純な個性さえも否定された世界」
その世界において
「人間は前もって定められた通りに行動する 抽象的な総体に堕してしまっている」
と批判した。 そして悲しいことに、21世紀に入った現代でさえ、それは顕著になっている(このゲーム業界においてさえも!)。
「抽象的に機能するのみ」
に堕してしまった現状を痛烈に批判した。
高度に発達した技術は、人間の創造性を発展させるものではなく、逆にその技術を支障なく動かす為の、
「生産物や状況と一体化」
した部品としての機能を有する
「意識を欠いた存在」
としての人間が要求されるようになる。クリエイティビティとしてのセンスは、膨大なコストをかけることで補うことができるようになるが、資金がない状況では、センスを欠いた人間によって制作開発されたことによって、残るのは貧弱な、市場から見向きもされない生産物だけである。
GAEはメジャーを目指してはならない。 技術のみに頼る、大企業と同じような商品を作ってはならない。 プロモーションもマネしてはいけない。
「存在しないも同然といえる人工的な人間の域」
にあるメジャーな考えは、捨てなければならない。 さもなければ、GAEも、業界も市場も、滅ぶ。
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