ぼんのう
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2004年07月03日(土) 不在の騎士

「不在の騎士」(イタロ・カルヴィーノ著)


なんとも不思議な本である。そもそも何でこの本が我輩の手元にあるのか、わからない。いつ買ったのかもわからない。如何なる動機で購入したのかも、全く判然としない。しかし今の我輩にぴったりな寓意小説であるのは確かである。この世に偶然は存在しないのか?この本が今、我輩の手元にあるのは、何かのシンクロニシティーが働いたのか?答えはわからない。

日本ではマイナーであるが、イタリア小説界の重鎮、イタロ・カルビィーノは1923年キューバで生まれ、イタリアに帰国し、第二次世界大戦中はムッソリーニ政権に対抗するパルチザンに参加し、戦後小説家となり、1985年に逝去。パルチザンでの経験が、同氏の文学的出発点となったと言われている。

内容は割愛する(図書館で見つけたら、是非とも読んで欲しい)。一見すると欧州中世時代を舞台としたファンタジー小説に見えるが、実は現代という、無個性なる時代への寓意あふれる警鐘の本である。
これが書かれた1950年代末を、カルヴィーノは

「エキセントリックでない世界、
 もっとも単純な個性さえも否定された世界」

その世界において

「人間は前もって定められた通りに行動する
 抽象的な総体に堕してしまっている」

と批判した。
そして悲しいことに、21世紀に入った現代でさえ、それは顕著になっている(このゲーム業界においてさえも!)。

「抽象的に機能するのみ」

に堕してしまった現状を痛烈に批判した。


高度に発達した技術は、人間の創造性を発展させるものではなく、逆にその技術を支障なく動かす為の、

「生産物や状況と一体化」

した部品としての機能を有する

「意識を欠いた存在」

としての人間が要求されるようになる。クリエイティビティとしてのセンスは、膨大なコストをかけることで補うことができるようになるが、資金がない状況では、センスを欠いた人間によって制作開発されたことによって、残るのは貧弱な、市場から見向きもされない生産物だけである。




GAEはメジャーを目指してはならない。
技術のみに頼る、大企業と同じような商品を作ってはならない。
プロモーションもマネしてはいけない。

「存在しないも同然といえる人工的な人間の域」

にあるメジャーな考えは、捨てなければならない。
さもなければ、GAEも、業界も市場も、滅ぶ。


ANDY 山本 |HomePage

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