My Cup Of Tea...POO

 

 

想像ベクトル - 2005年02月01日(火)

毎月1日は映画デー、料金1000円の日。

4年ぶりくらいに、このシステムを利用しようかと思い立ち
ひとりでぷらぷら映画館に。

「オペラ座の怪人」を見ようかと思ってたんだけど、
ファントムは、どうせ正規の料金払ったって見るので、
安い値段の時にしか見ないだろうなぁ、というぎりぎりの映画を狙ってみました。

「カンフーハッスル」
どうだ。けっこうぎりぎりのラインだろう。

映画自体は、楽しめました。
そのオチなのか〜?!とは思いました。
ちょっと「マッハ」と後味が似てる。
仏教を大切にしましょう、という心が(笑)

「少林サッカー」ほどははじけてなかったですね。
サッカーの威力を感じました。
一人一人の登場人物の突拍子のなさは
少林サッカーもカンフーハッスルも同じレベルなんですが、
規則の決まっているグループスポーツだとね、
突拍子のなさ&妙な一体感を倍増させる力がありますね。
得体の知れない人たちが集まって、得体の知れない威力のロボットが出来上がっちゃったよ、みたいな感じ。
対して今回は個人対個人の戦いだったので、比較しちゃうとエネルギー不足だなぁ、という印象を受けました。

で、映画よりもなによりも、客席に入った瞬間、
…ひきました。

だって、客の3分の2が小学校高学年。ほぼ男子。
どこの東映アニメ映画祭に紛れ込んだのかと。
すっかり引率のお姉ちゃん風に、
小学生の合間に埋もれてたんですが。

男の子たち、みんなゲームボーイ等の携帯ゲームを所持。
それぞれもくもくとファンタジー世界に没頭。
持ってない子は、隣の子の画面を真剣に覗き込んでいる。
せっかく友達といるんだから、何か話したりふざけたりすりゃいいのに、
と、思ってしまうあたり、
もう自分も旧デフォルト型の人間なんだろうね。

私が子供のころだって、
友達と一緒にいる時でも、
読みたい本は読みたかったし、
黙々と漫画を読んでたりもしたし、
まあ、同じなんだろう。

目の前に人がいるなら、その人とコミニケーションしなきゃ、
と思い込むのは、どっかで刷り込まれた後付けのルール。

この子達のなかにも、もしかしたら何人か
死んだ人は蘇る、と思ってる子がいるかもしれないけど
私は別に、そう考える子どもがいることを、怖いとは思わない。
私はそのルールでは生活していけないな、と思うけど。

もし、死んだ人が蘇る、と思っていられるルールの中で生活できたら
それはそれで、希望があって幸せな世界だよね。
想像するのは自由。
死んだ人は蘇る、ということと
だから人を殺してもいいんだ、ということはつながらないし。
自分が殺した人が蘇ってきたら、ものすごく怖いでしょ。
痛いなんてもんじゃない苦痛を受けて、うんと恨みを抱いて死んだ人が
自分の目の前に立っていたら?
自分に同じことをしようとしたら?
もし復讐で殺されても、いつか蘇るから大丈夫と信じていても、
たった今、両親や友達や好きな人や好きなもの、自分の生活を構成しているものから無理やり引き剥がされる、
それがどれだけ残酷なことか、
それだけの想像ができないほうが、よっぽど怖いし、
それだけの価値のあるものを想像できないから持てないから、自分はカラッポだから、別に一回死んでもいいや、
と思うことが、もっと怖い。

そうなんだ。
私は、想像ができなくなることが、何より一番怖い。
これも古いルールなのかもしれないけれど、
でも、私には一番大事なルールです。


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