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2005年02月10日(木) NYの街角:MoMA再訪


友人がフィラデルフィアからNYCに遊びに来た。Macy'sで待ち合わせ。前から話していた彼女の幼馴染の建築家の卵とも、ほんの少しだが顔を合わせることができた。

昼食後、New MoMAを案内する。昨年、MoMA Queensに行ったが、その展示の少なさに落胆していた姿を思い出す。大丈夫、期待は裏切らないから。ここぞとばかりに薀蓄を語りまくる。前回見れなかったデザインの階や写真のエキシビションも徹底的に巡る。彼女の興味の分野はかなり重なるので、自然と話が弾む。たとえそれが英語でも。

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というわけで、MoMAについて、また少し書いてみることにした。 前回は主に全体的な印象と谷口の建築について書いたので、今回は主に展示について。

まずは5F。戦後現代美術のビッグネームはたいてい押さえてあって、それなりの有名な作品が展示してある。奇をてらわず、王道を行く感じである。もちろん、ヨーロッパ系、アジア系は少なめ、アメリカの作家が多めである。

抽象表現主義から現代に至る道筋。ジャクソン・ポロック、デ・クーニング、バーネット・ニューマン、ラウシェンバーグが多めという構成。もちろんアメリカ人が大好きなアンディ・ウォーホールとジャスパー・ジョーンズは外せない。アド・ラインハート、マーク・ロスコ、リキテンスタイン、ドナルド・ジャッド。一方、エドワード・ホッパー、アンドリュー・ワイエスというアメリカのビッグネームがほとんどないのは、ある種の潔さを感じさせるが、やはり少々物足りなく感じる。 ホッパーが一枚だけ、しかも出口付近にとってつけたように展示してあるのは、何か意図的なものを感じさせる。

4Fには、ピカソ、マティス、ゴッホ、セザンヌなどの近現代芸術の粋が集めてある。教科書に載っているものがほとんど揃っていると言えるほど、そのコレクションは極めつけである。マティスとピカソに至っては、専用の部屋まである。

こういった中で、ひとつ注記しておくべきことがある。掲示板でshinaさんにも指摘されたが、同じアメリカの作家であり、いわゆる概念芸術の祖であるところのマルセル・デュシャンのコレクションが実に少ないことだ。デュシャンの現代美術への功績は誰もが認めるところであり、現代美術を語り始めるときに、彼の名に言及しない者はいない。彼の作品は一部屋に集められ、作品数は4、5点はあり、デュシャンピアン(デュシャンの系譜に連なる作家達)の作品もそれなりにある。しかし、その影響の大きさとMoMAという近代・現代美術の集約とも呼べる美術館に、見るべき作品が置いていないのは違和感を感じる人がいてもおかしくない。有名なところでは、せいぜい、bicycle wheeとキュビズム時代の作品一点くらいだろうか(時効なので言うが、前者は、ポンピドーで誰も見ていないのをいいことにくるくる回してしまったことがある。ああいった誘惑(spin me)にはきちんと答えてあげるべきだと思う。)。

また、エゴン・シーレとか、アルフォンス・ミュシャ、クリムト、ココシュカ、オディロン・ルドンといった、いかにもなものは少ない。このあたりは観光客に受けがいいのだが、新たな「二都物語」を形成するポンピドーとは風情が違う。向こうなら、それこそシュルレアリスムの作家がてんこ盛りなのだが、こちらは少ない。これは何故なのだろうか、という疑問が当然に浮かぶだろう。

これは、コレクションに偏りがあるからだというのが普通の解釈だと思われる。MoMAの創立は、ヨーロッパ中心の美術から脱却し、アメリカの現代絵画を選定するという極めてポリティカルな意図のもとに行われたからだ、と言われている。デュシャンは、その選定の過程で意図的に除外された。ダダ、シュルレアリスムなどは排除され、マティス、パウル・クレー、ジョアン・ミロ、モンドリアン、カンディンスキーなどが「新しいアメリカの芸術」として選定された。もちろん、ジャクソン・ポロック、ジャスパー・ジョーンズ、ラウシェンバーグなども、その文脈に合致している。ヨーロッパの遺産を引き継ぐのではなく、アメリカの独自の芸術を志向し、芸術の首都の座をパリから奪い、新たな伝統を築きあげたMoMAならではの矜持なのであろう。(デュシャンに関しては、もちろん我等がフィラデルフィア美術館の方が圧倒的に素晴らしい。永久展示の「遺作」もある。)しかし、やろうと思えば美術館同士の貸借でそういった偏りは是正できる。今回はshinaさんも言われるように、「New MoMAになって原点回帰をした」ことを示そうとしたと考えるべきなのだろう。

長くなったので、続きは次回。

(続く)







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