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2004年10月03日(日) 書評:モブ・ノリオ「介護入門」(2004年上半期芥川賞受賞作)


YO! 朋輩(ニガー)と声をかけられたら、なんと応えるべきなのだろう。マンハッタンの街角で、男にこんな風に声をかけられたら、私ならまず丁寧に無視して避けて歩く。男の眼が、明らかにラリっているなら、なおさらだ。しかし、この「介護入門」の作者がたびたび読者に呼びかける、その言葉は違和感なく読み手まで届く。それは、日本の小説の文法で許されているルビの効果であろうし、こわばった、息苦しい文体のなかで、唯一ひといきつける合いの手の瞬間だからかもしれない。

告白小説というものがあるとすれば、その分類に入るのかもしれない。そもそも小説なのかという問題もある。ジャンルを問うことは無意味であると判っていながら、それでも問うてしまうのは、アルチュール・ランボーの「地獄の一季」での、あの荒々しく禍々しい、あの文章の息継ぎをどうしても想起してしまうからだ。

もちろん、氏が意識しているのは、その名前から推察できるとおり、ラップの口調である。後ほど、彼のインタビューが掲載されている文学界を読むつもりなので、氏の真意は(少なくとも建前は)わかるだろう。

介護というテーマと、麻薬を含めたラップ・カルチャーの出会いは、新鮮である。電子音に合わせてダンスしながら医者用ラテックス手袋、湯を満たしたポット、<下>専用手拭いを準備し、母とともに最後のお楽しみとしてオムツをご開帳するなど、ありえない組み合わせに心は躍るのも事実だ。

世の中に対する怒りというラップの通低和音のようなものは、いささかうんざりさせるが、現実味あふれる介護という文脈に引き戻されることで、危ういバランスを保ち、リアリティを確保することに成功している。が、そのリアリティが、幾分、小説としての出来を損なってしまっているのも事実だ。また、新鮮なテーマの選定は良いが、その現実味が何か高次の段階に行き着かない、ただの羅列になってしまっているように思える。また、それを避ける工夫かわからないが、時折唐突に挿入される<介護入門>なる教条的な覚書が、なおさらその失敗をあからさまにしてしまっているのが残念だ。また、「俺はいつも、<オバアチャン、オバアチャン、オバアチャン>で、この家にいて祖母に向き合う時にだけ、辛うじてこの世に存在しているみたいだ。」などという、結論を急ぐ言葉が、無造作に使われてしまっているのも気になる。

この文体をより洗練させ、リズム感を高めていけば、そして、読者を乗せていけるような氏の考えるミュージシャン像に繋がる文体を完成できれば、今後の氏の作品は期待できるだろう。

最後に、これからこの作品を読もうとする人へ。この作家の風貌や、その最初の印象だけでこの作品を読むと、間違いなく誤る。侮るなかれ。実に細やかな、ナイーブ過ぎるほどの感性から、この作品は描かれている。

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