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2003年10月31日(金) 書評:「流れよわが涙、と警官は言った」(P.K.ディック)


いまさらながら、フィリップ・K・ディックの「流れよわが涙、と警官は言った」を読む。休日にニューヨークに行ったついでに紀伊国屋書店に立ち寄ったので、日本語の小説が恋しくなり、購入してしまったものだ。NYCの書店で、アメリカの、英語で書かれた小説の日本語訳を買ってAmtrakの中で読むというのは、正しい態度だ。少なくとも、まだ「戦後」という思いの中で生きている日本人である私としては、という限定つきであるが。

「流れよわが涙、と警官は言った」というタイトルはなかなかいい。「・・・と言った」というタイトルの付け方は、デュラスなどにも類例があるけれども、最近では臆面もなく真似られたりもしている。こういうのは、最初にやったもの勝ちである。

内容は、個人情報が全て中央集権的管理されている未来の世界にあって、自分の情報を何らかの事情によって中央のコンピュータから剥奪されたテレビのパーソナリティが生き延びようとする話。面白いのは、単に情報が剥奪されただけではなく、有名人であるはずの彼を誰一人として覚えておらず、武器になるのは多額の現金と遺伝子操作によって付与された肉体的魅力だけであるという点。彼を追う立場にある警察本部長とその双子の妹(重度の麻薬患者)のキャラクターがいい味を出している。

フィリップ・K・ディックが麻薬に耽溺していた時期に近接して書かれたものだけあって、ドラッグ体験のイメージが色濃く反映されている。それでも、単なるドラッグ小説やSci-Fiに済ませないところが彼の優れたところというべきだろうか。極度に集中した情報管理社会においては、ID不携帯が、そのまま労働強制収容所送りになるほどの重罪であり、そういった「ならずもの」を狩るために、いたるところで検問を実施している。念の為言っておくと、これ自体は、ブラックユーモアとして読むべきもので、「情報管理社会の病理」とか、「警察国家の恐怖」とかをこの文脈で教訓的に読み込むとおかしなことになる。私の考えでは、これらは、いわばディテールであり、本題ではない。アイデンティティとその根拠を検証する試みが一貫した主題である。例えば、元歌手の有名人として成功しているという主人公のイメージが、実は麻薬に耽溺して夢見られたものに過ぎないかもしれないというトピック。同様の主題から生じる切迫した危機感は、何度も手を変え品を変え、現代の文学でも試みられている。

しかし、ディテールを看過するわけにはいかない。彼の作品ではむしろ細部にこそ味わいがある。この作品においてもディテールのうまさは、光っている。たとえば、発信機の代わりをする点印など偽造のIDに関わる部分の描写や、偽造の1ドル黒切手に関するエピソードなど。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」におけるウィルバー・マーサーの共感装置(エンパシー・ボックス)も凄いの一言だったが、文章の描写からでは決して完結したイメージを作れないように配慮しつつ、鮮烈な印象を残すテクニックは一級品である。(ちなみに、良く知られたように「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」は「ブレードランナー」の原作であるが、映画ではそのごく一部が用いられているに過ぎない。この作品は、映画で捨象されてしまった部分こそがもっとも面白いといえる。)

追記:
めずらしくSci-Fiを題材に書評を書いてしまった。最近、「ファウスト」などに代表されるようなライトノベルによる文学への接近/挑戦が行われているが、こういった古いSFも、人間の存在に対する深い洞察力と説得力を持っていることも珍しくない。個人的には、文学より軽んじられてきた作品の、文学への接近を組織的かつ積極的にアピールし擁護することの商業的意味は理解できるが、それ以上の意味を持っているのかどうかがまだ見極められないでいる。







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