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2003年07月27日(日) 掌編:僕の場合、その一つはウェンディーズだった。


言い古された言葉で恐縮だが、人は多かれ少なかれ、何らかの心的な傷に由来するこだわりを抱えて生きている。そして、他人から見るとそれは奇妙なものに見えることが多い。例えば、ある種のコンディショナーの匂いに街中で遭遇すると、急に暗い表情になる男が僕の友人にいる。特定の煙草の銘柄の煙に過剰に反応する友人もいる。その女性は、他の銘柄の煙草の煙は全く気にならない。これらの例はまだわかりやすい。ある種のドーナッツがどうしても食べられない者もいる。穴の開いていないドーナッツはどうしても駄目だという。ここまでくると、他人には、これらの物事の本質を理解できないことがしばしばある。その物語が本人の口から語られない限りは。しかし、語られる機会はそう多くはないし、それが語られたところで、完全に理解することなどそもそも可能なのだろうか。そもそも本人ですら、自分の抱えているものを正確に把握することなどできないのだから。

僕の場合、その一つはウェンディーズだった。そして、それを理解したのは、東海岸のある都市でクオーターパウンドのハンバーガーの一口目を食したその瞬間だった。

20年前、いやもう少し前のアメリカ西海岸の小都市で、ウェンディーズがどんなハンバーガーショップであったのか、僕は知らない。僕の持っている知識は、おそらく日本で普通の暮らしを平穏に営んでいる人々が、ウェンディーズに対して持っている知識とそう大差ないだろう。クラシカルなハンバーガ(と称するもの)を出すファストフードショップである。アメリカが発祥地だ。日本でもアメリカでもさほどメジャーではないが店舗数は多い。太っ腹にもケチャップは無料でついてくる。旨くもないが不味くもない。が、他のフランチャイズやチェーンのファストフードに比べれば、いくぶんましな部類である。三つ編みの女の子がトレードマークだ。店員のかぶっている帽子が気に食わない。それくらいである。

けれども、今から20年少し前のアメリカのある都市で、秋深まる週末の午後、ある小さな女の子が家族に連れられて、この名前のハンバーガーショップに来たことを僕は知っている。そして、その女の子は、日曜日になると、ここのハンバーガーを食べさせてもらえることを楽しみにしていて、店内に入るとポテトを油で揚げる香ばしい匂いに、心の高揚を覚えただろうことを僕は知っている。

さて、僕は今、この街で、高揚など覚えることなく淡々と空腹を満たすためだけにハンバーガーを食べている。ケチャップが手を汚しても、官僚的なペーパーナプキンで事務的に手を拭うだけだ。そこにどれほどの隔たりがあるのだろう?ハンバーガーに特権的な地位が与えられていたあの時代はどこへ消えたのか。彼らの栄光はもう戻ってこないのだろうか?

残念ながら、その女の子が、そういった喪失に対して、どんな感想を持つのか、僕はもはや知りようがない。過去への手がかりは、すでに失われて久しいのだから。

そして今、僕はアメリカの東海岸の中規模都市の同名のハンバーガーショップでクオーターパウンドのハンバーガーを、コカコーラ片手に食べ終えるところだ。街を歩く人々の表情は、週末ということもあってかリラックスしている。家族連れで来ている7歳くらいの黒人の女の子が、店員の頭の上のメニューを指差している。そんな週末の昼下がりに、記憶の底の、沈殿した深い部分にアクセスしてしまうのは、これからNYに向かい、旧知の友人に会うことになっていることと関係しているのかもしれない。

コーラが空になったので、立ち上がる。







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