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2003年07月23日(水) パリ放蕩日記(最終回):訣別の意味


やや話が前後するが、パリ放蕩日記の最終回の補足として、少し長めの文章を書かせてもらうことにする。

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Parisを去る際、ソルボンヌの教授をしている大家から、アポリネールの詩の朗読のCDやテクストを餞別として頂いた。予期せぬ贈り物に驚きつつ、この間サイトに訳を載せたばかりのミラボー橋が入っていることにある種の感慨を覚える。代表作「アルコール」も勿論入っている。空港までのバス乗り場まで送ってもらう途中で、シャルルヴィルに行ったが、Manuscritには触れられなかったと話したところ、BN(国立図書館)にあるはずという話になった。BNは行ったのだが、残念ながら書庫に入れなかった、と言うと、次に来るときに、BNにリサーチャーとして入れるようレターを書いてくれるということになった。人の縁はつくづく不思議なものだ。

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以前の日記で、前置きなしに不用意に「訣別」という言葉を使ってしまったために、多少誤解を与えかねない表現になってしまっていた。そこで、この場で補足説明をさせて頂くことにする。

大学に入った当初、フランス文学を研究し、文章もものするというのが生涯の目標だった時期があった。すなわちそれは、大学院に残り、フランスに留学して研究を重ねるという研究者への道である。もちろん、人には向き不向きがある。傷口を拡げないうちに撤退した判断は間違っていなかったとは思っている。

しかし、法律の実務家になることを志し、そして実際に実務家になった後も、その傷はなかなか癒えなかった。未練たらしく個人のサイトに色々書き続けて来たのは、これが原因の一つである。

今回の留学に際し、フランスに留学して帰国した同期たちに会う機会があった。Parisで生活している間も、ソルボンヌで学んでいる友人達に会う機会が何度かあった。彼らの研究テーマは多様であるが、その研究内容を簡単に聞いただけでも、いずれも魅力的であることが判るようなものばかりだった。

そのたびに、疼痛を伴う苦い後悔のような羨望を感じている自分が居た。フランスで一流と認識されているランバルディアン(ランボーの専門家)であるソルボンヌの教授に学んだ友人や先輩から、その教授の研究テーマや姿勢を聞いたりもした。ソルボンヌ大学の校舎で、これを聞いたとき、多少眩暈を覚えた。一歩間違えば、傷口が開きかねないものだった。

蓮実重彦(旧字体が出ないので申し訳ない)が、ある方面で有名な自作のフランス語の教科書「フランス語の余白に」の冒頭で、大学の学部卒業後に使用することもないフランス語への志向を潔く破棄することの重要性を(彼一流の皮肉を込めて、しかし真摯に)述べている。中途半端にこだわりを残すことは、ある局面においては非常に危険である、ということである。この態度は一面においていくばくかの真理を含んでいる。パリ滞在中、その種の危険に晒されていたためか、蓮実氏のこの文章が頻りに思い出された。

今回の留学のため推薦状を頂いた教授に、趣味としてランボーを追い続けているということを告げると、それはいい、と背中を押してくださったことを思い出す。研究者への道だけが研究の道じゃないからね、と。

別の道に未練を残すようなことがあってはならない。欠片も残してはならない。それが「訣別」という儀式めいた言葉を使わせるに至った理由である。シャルルヴィルへの旅行に、そのような色彩を纏わせることは、自分にとっては必然であったと思う。

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今、ここ遠く離れたアメリカ建国の地で、振り返って考えてみる。実際のところ、訣別できるほど気持ちの整理がついたわけでもないのであるが、シャルルヴィル訪問は、一つの区切りにはなったと思っている。今後、振り返るたびに、戒めのための里程標くらいには役に立つであろう。そして、それで十分だ。

少々長くなってしまったが、フィラデルフィアの長い夜に、自分の心の整理のためにも、追補させていただいた。興味のない方にはこんな「痛い」文章を読んで気分が悪くなった方もおられると思う。予めお詫び申し上げておく。







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