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2003年07月18日(金) パリ遊学日記:シャルルヴィル紀行



Portrait of Arthur Rimbaud

アルチュール・ランボーの故郷、シャルルヴィルからランスに向かう列車の中でこれを書いている。列車は、次第に速度を緩め、ルテル(Rethel)という聞いたことのない名の駅に到着しようとしている。

今回の旅は、130年前に詩人が見たかもしれない光景を訪ねるものだった。シャルルヴィル行は、わざわざパリに滞在することを決めた理由の一つでもある。学生時代に研究対象として選んだ詩人の故郷を訪ねるのは、端的にいえば、「訣別」するためだ。そして、今、シャルルヴィルから戻る途中の列車でこの文章を書いている。

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シャルルヴィル=メジエール駅に降り立つ。降りてすぐ肌で感じるのは、現在のシャルルヴィルには、ごく控えめに言って、あまり活気がないということだ。奥まった地方の、小さな、寂れた街である。主要な産業は農業である。このようなベルギー国境の小さな街をわざわざ訪ねる観光客の目的は、彼の生きていた痕跡を見ることだけであると思って間違いない。アルデンヌの高原は古戦場であり、それはそれで観光スポットなのかもしれないが、もし、この19世紀末の早熟な詩人が生まれていなかったら、人々はシャンパーニュと大聖堂に惹かれてランス(Reims)まで足を運ぶことはあっても、さらにその先にある、シャルルヴィル=メジエールなどという聞きなれない地名の街にまで、往復で5時間も掛けて旅行するとは思えない。



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鈍い鉄の擦れ合う音が響く。列車はルテルを出発し、ランスへと向かう。列車が揺れ始める。シャルルヴィルから遠ざかる。

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シャルルヴィルの話に戻る。まず、街の中心であるデュカル広場に面したツーリスト・インフォメーションで、ランボー所縁の地はどこか、と大まかに尋ねる。すると、10種類ものパンフレットを出してきて説明してくれる。ランボー記念館は、正午から午後2時までは閉まっているとのことだったので、まずは適当に街歩きをしてみることにする。デュカル広場から、しばらく歩いていくと、偶然彼の墓のある傍まで来たことが判ったので、最初に見ることにする。

街の雰囲気と同じく、墓地もまた寂れている。長年放置されている墓が目に付く。彼の墓は意外に簡素である。墓地には他に人影もないが、彼の墓には、深紅の薔薇の花束が手向けられている。花びらがまだ瑞々しいところを見ると、今朝方あたりに誰かが手向けたものに相違ない。



その後、ランボーが幼少の頃家族と暮らしたという川沿いの家を見る。現在も使われているのかどうかは不明であったが、ここから川や水車小屋などを見ていたのかと思うと、感慨深い。この川辺で幼い彼も兄弟や友人たちと戯れたのだろう。Aube(暁)という有名な詩がある。

「僕は夏の暁を抱いた。
宮殿の前では、まだ何も動いてはいなかった。水面は静まり返っている。影の一団は森の道を去っていない。生き生きとした暖かい草いきれの中を、僕は歩いた。すると、宝石達は眼を見はり、鳥達は音も立てずに飛び去った。」(抄録)

ともすれば素直すぎる、純粋すぎると評されることもある、彼にしては珍しい詩であるが、詩人が生活していたこのミューズ川の水車小屋の風景を見ると、このような自然の中で生活していたからこそ生まれた素朴な詩なのかもしれないと思えてくる。



ここまで書いたところでランスに到着する。ランスでは、1時間しか時間がない。大聖堂のシャガールのステンドグラスを見るのが目的だ。後ほど追記する。

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先ほどまで晴れていた空が掻き曇り、少量の雨が窓ガラスの表面に付着する。ランスから列車が出発した。これからGare de l'Estへ向けて1時間30分の旅だ。大聖堂では、ステンドグラスがどれも素晴らしかったが、やはりシャガールは一際輝いている。

ランスは、ベルギー国境に程近かったため、ドイツ軍による徹底的な爆撃にさらされた街である。それを復興し、再び、以前のような古い街を再現したそうである。ここでも、古さにこだわる西洋の考え方を垣間見ることができる。それでも、他の街に比較すれば、なお新しいように思えてしまう。それなりに風情のある街であるが、私がランスを訪れることは、僥倖に恵まれない限り、今後ないであろう。

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再び、シャルルヴィルの話。

その後、デュカル広場で昼食。Salade Repasという野菜中心のPlatを注文する。食べ物が偏りがちなので、こういう食事はありがたい。コーヒーを飲みながら、しばし、彼の見た光景と広場の風景とを重ね合わせる。例えば、マルセイユのコンセプシオン病院で、脚を切断され、ベッドに横たわる彼の脳裏に去来した光景は、この広場の賑わいであったかもしれないのだ。



ランボー記念館は、彼の住んでいたミューズ川沿いの、向かい側の水車小屋を改造して作られたものだ。重い扉を開くと、すぐに受付がある。入って右には、ランボーに関する書籍が多数展示されており、これらは販売もされている。受付で入場料を払い、中に入ると、ランボーの姿を再現したようなポスターが貼られており、有名なファンタン・ラトゥールの筆になるランボーを含めたパリの文壇の面々を描いた絵画を大きく引き伸ばしたものがある。次の部屋には、ランボーの遺品やmanuscritがある。しかし複製も多く、ほとんどは資料的価値はない。たとえば、Correspondenceを含めた様々なバージョンの全集や、さらにはイヴ・ボヌフォワやピエール・プティフィスのランボー論などを参照すれば事足りてしまうようなものばかりである。彼の学校の成績表(成績は良いが、必ずしも最優秀ではない)などがあるので、興味本位であればよいかもしれない。唯一、手紙で原本と思われるものが展示されていたのが救いであった。



記念として、ボヌフォワのランボー論と、渡米後、手元で参照するためのヴェルレーヌの序文付き「イリュミナシオン」を購入する。

その後、近くの図書館に向かう。時間がなかったため、余り展示をじっくり見ることはできなかったが、ランバルディアン(ランボーの研究者・愛好者のことをこう呼ぶ)のrevueが売られていたので、一冊記念に買い求める。

その後、ランボーの生家を駆け足で見て回り、そのまま駅に駆け込む。何とかランス行きの列車の時刻に間に合った。記念館自体は期待はずれであったが、詩人の見たであろう光景を体感し、同じ風、同じ陽光を感じるということはできた。その「場所の記憶」を頼りに、彼の詩を読むことができるような、そんな微かな期待が生まれたことをもって満足する。

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そろそろ、列車がパリ市内に入ったようだ。筆を止めることにする。







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