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2003年07月11日(金) パリ遊学日記:シャルトル紀行


晴れたら大聖堂を見に行く。そう決めて目を覚ますと、これ以上望むべくもない快晴である。モンパルナスの駅に着くと、三連休の初日とあって、本日のTGVは全て満席であるとの掲示がされている。

シャルトルはTGVが停車しない駅なので、普通列車で行くことになる。レンヌに行ったときと同じ17番線で列車に乗り込むと、2等はほぼ満席である。補助席に腰を据える。

1時間10分ほどでシャルトルに到着。シャルトルの駅からはすぐに大聖堂の2つの尖塔が見える。照りつける陽光の中、駅から5分ほど歩き、ノートルダム大聖堂の正面に到着。外形だけ見てもその大きさ、荘厳さに圧倒される。大聖堂の正面は、ゴシック様式(向かって左)とロマネスク様式(向かって右)という二つの異なる様式の尖塔により構成されているが、アシンメトリであるにも関わらず、調和している。右の塔の方が古いので、本来は、右の尖塔と同じものが左にもあったはずである。しかし、今のほうがむしろ落ち着きがあるように思う。元の姿を再現せず、非対称で良いという結論を出した建築家に敬意を表する。



朝、昼と何も食べていなかったことに気づく。クレープリーに入り、シードルとクレープを食する。パンフレットを見ると、9世紀にビザンチン皇帝より禿頭王シャルルに贈られた聖母マリアの着衣という聖遺物があるとのことであるが、そんな貴重なものは、おそらく観光客には見せないだろう。パンフレットにあるIllier-Combrayという名に眼を引かれる。マルセル・プルーストの所縁の地が近いらしい。今回は時間がないのでパス。案の定、プティット・マドレーヌが名物とのことである。実に判りやすい。

食事を終え、大聖堂に入る。夏の陽ざしに灼かれていたためか、眼が順応するまで時間が掛かる。聖堂独特の空気の冷えを感じる。大聖堂の中央部まで進んで眼が慣れてくると、自分が文字通りステンドグラスに取り囲まれていることが判る。俗に「シャルトルの青」と呼ばれる157枚のステンドグラスである。青みの強いものほど、美しい。北のバラ窓を見ていると、突然聖歌隊の歌声が響く。何かの予行演習らしく、短い賛美歌が指揮者の指示により次々に歌われる。ただでさえ複層構造の合唱が、天井に反射して、さらに深みを増す。歌声によって、心なしか、聖堂内部の色彩が違って見える。


美しき絵ガラスの聖母

聖歌隊の歌声を聴きながら、ステンドグラスを見て回る。数ある中でも最も優れているのは、「美しき絵ガラスの聖母」であろう。そのほかにも、北の袖廊に最も近い青みの強いガラスが気に入った。これをじっくり鑑賞するため、北の大扉に近い椅子に腰掛ける。と、前触れもなく、背後の北大扉が修道士たちにより開かれ、眩しい光が取り込まれる。その光の向こう側から、盛装した子供たちに先導されて、老人に連れられたドレスをまとった女性が入ってくる。結婚式だ。



聖歌隊の歌声が一際高くなる。参列者が後に続き、中央の祭壇の前で軽く跪いて行く。聖職者の衣をまとった司祭が、やはり同じ衣を纏った二人の子供とともに登壇する。参列が終わると、説教が始まる。まるで歌うような説教だ。聞き耳を立てていると、「ここにおいて、二人は美しい家庭を、美しいフランスの家庭を築き・・・」とか普通のことを喋っている。

式の行われている内陣には、さすがに参列者以外は入れず、また、説教が相当長くなりそうなので、鐘楼に登ることにする。余り登っている者は多くないようだ。料金が6ユーロもかかるためかと思っていたら、実際に登ってみて、そうではないことが判った。螺旋階段が、人間一人しか通れないような狭さであることと、300段も急な階段を登らなければならないためだ。息を切らして途中で休んでいる人も多かった。聖歌隊の歌声が遠くなり、やがて聴こえなくなる。漸く鐘楼の上へ。絶景。鐘は今は機械で遠隔操作しているようだ。頂上は一周できるが、狭い上に手すりも老朽化している懸念があり、高所恐怖症の方にはお勧めできない。事実、下界を見てしまい動けなくなっている少年を見かけた。



再び300段の階段を下りる。遠のいていた賛美歌が徐々に近くなってくる。ステンドグラスの美しさをより堪能するために、聖ノートルダムの礼拝壇の椅子に腰掛け、心を落ち着かせるために祈る。私は無宗教なので、祈るというより、瞑想するという方が近い。



十数分もそうしていただろうか。ふと人の気配を感じて眼を開けると、隣で、件の新郎新婦が聖ノートルダムに祈っているではないか。参列者もここには来ていない。おそらく、式を抜け出して聖ノートルダムに祈りを捧げることが、予め決められていたのだろう。私のような部外者で、かつ無宗教者が、こんな場で近くに座っていることが憚られる。だが、遠慮しながらも、写真だけはしっかり撮影する。




結局、聖母マリアの着衣は立ち入り禁止の礼拝堂にあり、見れずじまい。エッセの家系樹というのが日本のガイドブックにあったが、全く跡形もない。

それでも、荘厳な雰囲気を十分堪能した。ノートルダム大聖堂の内部は、多数のステンドグラスの写真をのちほど整理してギャラリーに載せるので、是非ご覧あれ。

***

その後、市内見物。古い町並みを見て回る。少し離れたところに、陶磁器の破片で家を作ったというナイーブアートがあるということで、ピカシェットの家に行く。結構遠く、暑さも手伝ってうんざりする。道すがら、突然銃声のような乾いた音が響いて驚愕する。それも、極めて近い。立て続けに数発。火薬の匂いがする。やはり銃声だ。近所の人が数人、止めてあった車の方に向かって、何か大声を出している。撃たれてはかなわないので、足早にその場を離れる。

銃声を聞く前、その近くの歩道に、雀の死骸がいくつか転がっていた。それを見たときは、この近辺にはずいぶん雀採りの上手い猫がいるな、としか思わなかったのだが、今から考えると、車の中から空に向かって猟銃を発砲しているちょっと頭のおかしい人間がいるのだろう。

ようやく辿り着いたピカシェットの家は、期待はずれ。だが、いくら呼んでも管理人が出てこず、結局入場料を払わずじまいであったのでよしとしよう。

さすがに帰りは同じ道を通りたくないので、回り道をしてシャルトル墓地の中を歩く。広大な土地の中で、スプリンクラーで芝生に水が撒かれている。人は殆どおらず、静かである。小鳥の囀る声が聞こえてくる。こんなところを永眠の地に選ぶのはいいかもしれないと多少思った。

***

古い街なみを歩く。小さな寺院があるので、覗いて回る。その後、再び大聖堂へ。夕べのミサが行われていたので、末席に参列する。無宗教者が居ていいものかと思いながら、寄付の要請にも応える。ミサの説教は歌うようである。合間に賛美歌が入る。聴衆の合唱も美しく、荘厳である。陽射しの向きが変わったのか、ステンドグラスも昼とは違って見える。


光の通り道

私としては、この小旅行は満足の行くものであった。もし、シャルトルに足を運ぶ機会があるなら、たっぷり時間を取っていかれたほうがより堪能できると思う。


二人に祝福あれ







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