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2003年07月04日(金) パリ留学日記:ロワール紀行(3)トゥールの夜/ブロワという街

ロワール紀行もこれが最後の章。

実際には先週末の2日間のことなのだが、書くべき内容が余りに多いため、この日付で書いていることをあらかじめお断りしておく。

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一日目の城館巡りは無事終わり、トゥールに宿をとる。夜になって、ガイドのお勧めのレストランを探すため、旧市街へ。Place Plumereau(プリュムロー広場)という旧市街で最も活気のある広場に行く。土曜の夜だけあって学生や観光客で大賑わいである。建物は15世紀のころからの古いものが多く、戦災で焼けた後もあえて古い状態に修復したらしい。日本では考えられないが、歴史のある建物に対するこだわりは並大抵のものではない。この国に限らず、ヨーロッパの国民性かも知れない。

目指すレストランがなかなか見つからず、聞いて回ってようやく発見する。トゥールは学生の街だ。我々の席のそばでは、10名ほどの看護学生がナースキャップをかぶって、仮装して飲んでいる。どうやら募金活動をしているらしく、派手に仮装した看護婦が2、3人でテーブルを回っている。これは、という若い男性に近寄って行って無理やり頬にキスをして募金させているところを目撃する。



別の男子学生のグループが居酒屋の二階でコンフェデ杯の3位決定戦を観戦しているようで、大声で看護学生たちに盛んに声を掛けている。大変に騒がしいが、ほほえましい光景ではある。



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翌日午前中は、シュノンソー城とアンボワーズ城。
シュノンソー城は代々女主人が住んでいたことで知られ、6人の奥方たちの城館と呼ばれている。アンリ2世の寵姫であったディアーヌ・ド・ポワチエとその正妻カトリーヌ・ド・メディシスがそれぞれ住んだ城としても名高い。



そのようなエピソードを知らなくとも、この城からは女性的な印象を受けるように思われる。水上に浮かぶ大回廊と城の前に展開する2つの庭園が、繊細で、かつ温和な印象をこの城に与えている。なお、その2つの庭園には、アンリ2世を巡る二人の奥方の名前がそれぞれ付されており、今も美しさを競い合っている。

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最後は、アンボワーズ城である。この古い城館は、フランス代々の王に愛された城として有名である。城の内部に入ると、古臭さを感じる。それは、イタリアの建築様式が取り入れられていないことに起因するのかもしれない。レオナルド・ダ・ヴィンチがこの城に招かれ、ここにある礼拝堂に葬られていることを知ると、なお感慨深いものがある。



内部は、大して見るべきものはない。よりこの城を楽しむためには、対岸から見ることだ。実際に夜にはライトアップされるそうで、その際も対岸からの眺めが最高とされているようだ。

なお、城の膝元にある角の喫茶店のアイスは結構いける。

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午後、Bloisに向かう。ここは、ガイドのバスの中から遠景を見て、一目で気に入ってしまった街である。「坂が多く、古い町並みがある静かな街」と聞いて、路地裏歩き趣味がうずいたのである。



Bloisは、かつて6代にわたりフランスの宮廷が置かれた街である。小さな街で、中心を歩いても3時間くらいで見るべきものは見れてしまう。しかし、坂の多い起伏のある街で、思いがけない形に道が曲がっていたり、思わぬ小道を発見したりと、趣のある場所だった。一葉の写真のみで伝えるのは難しいので、是非スライドショーで鑑賞あれ。

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さて、これで長いロワールの旅は終わりである。最後にトゥールに戻り、そこで早めの夕食をとったのだが、そこでも心暖まる交流があった。満足してTGVでパリに向かい、さらに、コンフェデ杯の決勝戦を観戦するため、サンドニのスタジアムへ。Allez!との歓呼に支えられ、延長でHenriが見事なゴールを決めた。その後、"Henri, Henri!"の合唱とともに、自然発生的に、このコンフェデ杯の試合最中に心臓発作で倒れ帰らぬ人となった、対戦相手のカメルーンのFoeに対するコールが沸き起こり、スタジアムを包んだことも記しておく。密度の濃い2日間であった。

来週はモン・サン・ミシェル紀行の予定。







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