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2003年04月25日(金) 書評:阿部和重「ニッポニア・ニッポン」


留学を控え、仕事をセーブしているので、これまで読めなかった文学作品を読みまくっている。この4年間に「読むべき本」の長大なリストが作られており、これらは日本にいるうちに読んでおかねばならない。

そのうちの一冊である。阿部和重が日本の若手の作家の中で、ある程度の位置を占めてしまっているのがなぜなのか、それがわからないので読むのだ。すでに、「インディヴィジュアル・プロジェクション」「無常の世界」など単行本になったものは読んでいる。

ストーリーは単純である。ストーカー行為がばれて引きこもり生活に入った少年が、自分にまつわる神話をでっち上げて、トキの救出/殺害を計画する物語。「ニッポニア・ニッポン」はもちろん絶滅を運命付けられたトキの学術名である。着想はいかにも陳腐であるし、それは作者によって自覚されている(はずである)。

ある計画を立案し、それを実行するという典型的なお話である。具体的な行動が記述の対象となっている点は、「インディヴィジュアル・プロジェクション」と同じである。違うのは、少なくとも最初は他者の意図する事件に巻き込まれ、それに対処して行くという体裁の巻き込まれ型小説であった「インディヴィジュアル・プロジェクション」に対し、「ニッポニア・ニッポン」では、少年自身の妄想的な計画を実行していく過程の話が対象となっており、行動を主人公が把握しているという点で分岐型小説であるということであろう。

小森陽一氏は、前者のような巻き込まれ型小説を泉鏡花の「草迷宮」になぞらえて「迷宮型」、後者のような分岐型小説を夏目漱石の「それから」になぞらえて「迷路型」と呼んだ。この分類が有効かどうかはわからないが、とりあえずの分類にはなる。

肝心の評価であるが、小粒であるという印象が拭えない。視点を少年の立場から、最後に別の立場に移す試みも、効果がまったく不明であるという点で、失敗に終わっている。とりあえず視点を切り替えてみないと、つまらないということに気づいたのかもしれない。あまり大きな構想で組み立てられた作品ではないことは断言できる。阿部氏にしては、やや安直に書いてしまったのかもしれない。

数時間の読書の快楽はあったので悪くはないが、だから何?といわれてしまうと次の句が告げなくなるようなタイプの小説である。「インディヴィジュアル・プロジェクション」でのチリチリした焦燥感が良かっただけに、ちょっと残念であった。








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