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2003年04月19日(土) 書評:E・ホワイト「マルセル・プルースト」


エドマンド・ホワイト著「マルセル・プルースト」(田中祐介訳・岩波書店)読了。

ハーブティに浸されたマドレーヌによる記憶の奔流という、あまりに有名な場面とともに、小説の理想的完成形であるとまで評される「失われた時を求めて」(A La Recherche du Temps Perdu)の作者であるプルーストの評伝である。フランス文学に興味のある者なら誰もがその存在を知っているが、それを本当に読んだ(読み切った)者が一体何人いるのかさえも不明という途轍もない長さの小説を書いた作者である、ということのほかに、喘息を避けるための「コルク張りの部屋」や華麗な交友関係、ジッドが彼の作品を没にしたことを終生悔やんだという象徴的な事柄だけが一人歩きをする傾向がある、そして、私自身がなによりもその全巻の翻訳を有しているにも拘わらず、安易にプルーストに言及することができないでいた、というのも、私はそれらのごくごく一部を原文で読んだほか、翻訳の書籍ですら一巻を除いては軽い流し読みしかできていないという事実が良心を苦しめたからだ。

と、少々プルースト張りの文体に(悪い方向で、かつ形式的に)毒された書き方をしてしまうわけだが、もっとも手軽に「プルーストという偉大な知性」を知るためには、このエドマンド・ホワイトというゲイ・カルチャーの擁護者による評伝を読むのが良いということをまず断言してしまう。いかにして、あの特異な文体が成立しえたのか、いかにして、あのような長い小説が成立しえたのか、なぜ、語り手だけが異性愛者なのか、などの疑問はこの本によって解き明かされているといえる。

ただし、「失われた時を求めて」それ自体についての興味をお持ちの方は、先にこの本を読むべきではないと思う。というのは、プルースト自身についての知識をいかに深めても、彼の作品について何かを知ったような気になってしまうという危険、すなわち、そのテクストそのものに接近することはできないばかりか、かえって遠ざけてしまう危険があるからである。

かつて、学生時代に、「プルーストは、任意のページを開いてそのページを読むという読み方が望ましい」という趣旨のことを仰った、教授であり思想家でもある人間がいた。記憶が古いため、この発言は正確に再現できてはいないであろうが、私はこれをよりどころにしてプルーストに接してきた。まだ読まれたことがない方で、プルーストに興味をお持ちの方は、全7巻の第1巻「スワン家の方へ」を手に取り、最初の数ページと、中ほどの数ページを読むことをお勧めする。それにより、この作家の文体と永遠に訣別すべきか、人生を通して「まだ読み終わっていない」という後悔と満足という相反するが両立する感情に身を委ねるべきか、決めるべきである。それからでも、このE・ホワイトの手になる評伝を開くのは遅くない。








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