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2003年04月07日(月) 書評:水村美苗「本格小説」



「人気のあるらしい村上春樹の作品で感じたような、これは小説を読む尋常の速度ではないという思いにかられつつ読み終えたところである。単純に過ぎるストーリーを小説の仕掛で読ませようという心意気は十分に評価できるが、いかんせんその筋立ての粗末さのみならず本人がいくらかは感づいているらしいその肝心の仕掛の仕立ての悪さとにより、再読に堪えないものになってしまっているのは素朴な小説の味わいがあるだけに非常に残念というほかない。」などと、某元学長のように毒に満ちた愛の告白をしてしまうことを最初にお許し頂きたい。

一応誤解のないように行っておくと、この小説は、お話として非常に面白く、作者は読者を楽しませる努力を怠っていない。下巻などは、三時間で一息に読んでしまったくらいである。市ヶ谷のエクセルシオル・カフェのアッサムティが空になってからお替りをする間もなかった。店員に「閉店時間です」と告げられると同時に読み終えた。

いろいろ面白い細部はあって、例えばプリマヴェーラという洋裁の会社を建てる三姉妹(もちろんボッティチェリからの引用)とか、「えふ子」とよう子の話を橋渡しとするとか、そもそもの構造からして、私小説に対置する概念として持ってきた「本格小説」の仕組みをちゃんと機能させるために、私小説によって導入する(「本格小説の始まる前の長い長い話」)とか。私小説と本格小説の対置はだれもが指摘できることではあるけれども、それをあざといと見るかどうかで、この小説の評価が分かれると思う。

少し退屈かもしれないが、自分の覚書代わりに、この小説の語りの構造を簡単に分析しておく。

まず最初に「私小説的な文章」=「誰もが語り手と作者を同一視するが、その真偽は宙に浮いたまま」という前提がある。これを上手く利用し、より強固な構造を持つ(と思われる)第三者視点の小説に連結し移行させるという企ては、面白い。そしてそれを可能にするため、語り手が別の語り手の語るさらに別の語り手から聞いた話を書き留める、という三重の入れ子構造を用いるのも面白い。つまり、ツチヤフミコから聞いた話をカトウユウスケがミズムラミナエに話し、それを作者=水村美苗が小説という体裁に整えるという構造である。この「本格小説」の構造は、最終的にカトウユウスケのレベルで破綻し、「私小説」と同じく真偽不明の状態にまで引き下げられるのであるが、このような戦略を用いる意図は理解できるし、その目論見はある程度成功していると思う。

しかし、作者は頭が良すぎるのかもしれない。上手く作り込もうとすればするほど、何かが滑り落ちていく感触がある。これは、作者自身がある程度は気付いて作中で吐露していることでもあるが、それにしても不毛である。巧みすぎるが故に名作の地位を得られない、そんな小説であるような読後感を覚えた。しかし、じっくりと味わえば、それなりに再度読むに値する点もあるのかもしれない。

いざ書評を書き始めてみると、相当批判めいてしまった。しかし(矛盾するようだが)、面白く、引き込まれる本であるのは間違いないので、是非手にとってご覧になることをお薦めする。とりあえず、カズオイシグロの凡作よりはよい出来である。









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