2002年09月21日(土) |
掌編小説:あの部屋にいる |
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あの部屋にいる。いつもの通り高い位置にある小窓から薄日はさしているが、物音一つなく静まり返っている。
−どうして困るといつもここに来るの?
いつもと変わりない、あきれたような彼女の声が聞こえる。姿は見えない。より正確には、見ることはできないしその必要もない。
−どうしてだろう?
と僕は言う。咄嗟に気の利いた嘘がつけないのだ。
−昔良く来た場所なんだ。だから混乱すると来たくなる。それだけのこと。
彼女は納得していないようだった。勿論、僕も納得していない。ため息が聞こえる。
−あなたにとって、「混乱」するのはそんなに良くないことなの?人はみな多少は困惑しながら生きているはずだけど。
僕は少しの間考える。的確な言葉は相変わらず見つからないが、口に出してみる。大方のことは走り始めてしまえば何とかなるものだ。
−たとえば、こういうことかもしれない。波風の立っていない水面に小石を投げ込んだとするよね。それが一個だけであれば、しばらく立てば、波紋はやがて小さくなり、消えてしまう。小石が投げ込まれるたび、やり過ごす。そのうち消える。僕は、そうやって生きてきた。なるべく鎮静化させようとしてきた。そしてその努力はある程度上手く行っていたんだ。けれども、
そこで一旦切って、彼女の表情を探る。相槌を打とうとする気配はない。(それで?)とも言わない。オーケー。It's still my turn. 僕はかまわず話を続ける。
−けれども、水面が揺れ出すと、波紋どうしで干渉しあう。すると、沈静化しようとする機能が上手く働かなくなるんだ。むしろ波は大きくなる。そして、なにより、荒れた水面に石を投げ込む人がいる。
−誰?
ちょっと躊躇する。突然、全てが明らかになる。僕は、これを言うためにここに来たのだ。
−ほかならぬ、僕自身だ。信じられないことに。
彼女は黙っている。僕も黙る。これ以上何も言葉を重ねる必要はない。この部屋も、やがて消える。僕自身が合意しさえすればよいのだ。そうすれば、何もあとには残らない。だが、まだ、残酷さが足りないようで、部屋は消えていない。
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