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2002年02月03日(日) 忘れ物が何なのか思い出せない


昨年の暮れあたりから、山深い東北の或る無人駅を幾度も訪れている。
薄暗がりに閉ざされたその駅には何があるわけでもない。そもそも駅舎と呼べる設備がない。コンクリートの野晒しのホームがあるだけだ。

その駅で降りるのは僕だけだ。駅に降り立つと、列車はおぼろげな線路を辿り遠くへ消えていく。
駅の右手には谷底を流れる清流と、吊り橋がある。急峻な斜面が、駅の直ぐ側に迫っている。平日の夕刻であり、次の列車があるかは判らない。多分ないだろう。

付近には洞窟があることを駅の看板は示している。他の景勝地の記載はない。白い塗料が剥がれ、錆が浮いている。看板に触ると簡単に剥落すると思われる。ホームに描かれた白線だけがやけに新しい。

澄み切った灰色の空。曇っていなかったためしはない。ここの風景は常に単調である。空から落ちてくる光線は不透明である。コンクリートの表面の感触が靴底から伝わってくる。線路から伝わる列車の音が消えると、他に音もない。或いは、洞窟の奥から響く滝の轟音が正常な音の感覚を奪っているのかもしれない。

ああ、またここに来てしまった、と思う。戻らなくては、と。
束の間の幻想から覚醒すると、そこは仕事部屋だったり、自分の寝室だったりする。いつものことだ。そこで初めて、あの駅に重大な忘れ物をしてきたことに気付くのだ。だが、忘れ物が何なのか思い出せない。







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