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2001年08月24日(金) 掌編小説:陽射しはおそらく強いのだろうが


陽射しはおそらく強いのだろうが、境内の大木が生い茂らせている枝葉に阻まれて、湿った黒土まで届く光はすでに薄く弱々しくなっている。江戸初期に建立されたと伝えられる萱葺き屋根の本堂は、歳月を経て古びてはいるものの堂々としたたたずまいを崩さない。住職とその奥方が縁側に出て、茶を飲みながら、座布団に正座している。私もお茶を頂く。ここに来ると何故かいつもお茶ばかり飲んでいる。話が続かないわけではない。この住職相手では話が途切れたときの沈黙も、一向に苦にならないのだ。時間の流れは緩やかではあるが、お茶を飲み始めたときに見た木漏れ陽が差している位置が変わっているところを見ると、世間並みに時間は経過しているようではある。

おや、と私は緑色の小さな動く物体に目を止める。アマガエルだ。私が見ているのを知ってか知らずか、時折控えめに跳躍する。その跳躍の幅が等間隔なのが、なぜか哀しい。やがて、アマガエルは地面に流れる幾すじかの涌き水のひとつに飛び込んだまま動かなくなった。ヒグラシは独特の節回しで鳴きつづけている。あまりにも数が多いので、彼らの歌は幾重にも重ねられてしまい、始めと終わりを認識することが出来ない。ジジ、と音がして、蝉が地面に転がる。起き上がって飛んでいくのもあれば、ひとしきりの苦悶ののちそのまま静かになるものもある。

「萱葺き屋根は手間がかかりましてねえ」と、住職がだれに言うともなく呟く。「今年も何回か国から役人が来ました。重要文化財に認定されてしまうと、毎年葺き替えて維持しなければいけないそうなんですよ。」本来なら困った顔をするところなのだろうが、住職も奥方も屈託なく笑う。「国からはほとんど補助は出ませんしねえ。お寺として使うのだから、萱葺きに拘泥ることもないんでしょうけど、やはり寂しくてねえ。」

それきり会話は途切れる。やや冷めたお茶を口に含む。そして、境内に目をやる。

奥方は、いつもの話を始めた。

「私がここに嫁に来た時、初めはどうしても声が出なくてねえ。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ、という言葉を口にするのが恥ずかしかったのですよ。どうしても声が出なくて、檀家の方とお会いしても、口の奥でもごもご言うだけでした。」そして、あるとき突然大声で言えるようになったという事件の話に続くのだ。私は曖昧に頷き続けていた。

いつも彼らと話をするたび、人間の徳ということを考えさせられる。宗教に否定的な私であるが、宗教が人徳のある人を作るというのは、ある意味正しいのかもしれない。もちろん、彼らは私が宗教嫌いであることも知っている。それでも、私のような意味のない来訪者にも時間をとって、一日を費やしてくれるのだ。

「あ、そうそう、あなたが来たら見せようと思ってたの。」と奥方が、子供の頭ほどもある石を持ち出してくる。「この翡翠の原石。裏の池に埋まってたんですよ。この前、裏の池の底を浚って掃除したら出てきたの。海の方では昔は良く取れたと聞きますけど、こんな山の中なのに、翡翠が取れるなんておかしいでしょう。」奥方の問いに、住職は朗らかに答える。「明治頃の住職が、そこに埋めたということも聞いたように思いますが、どこで取れたものなのか、なぜそんな所に埋めたのか、今となっては見当がつきませんね。寺には不要なものだから投げてしまったのかもしれません。」

私は、かすかに笑って同意する。こんな山奥のお寺なればこそ、ありそうな話だった。イチョウの巨木を見上げながら、お茶をすすろうとして、はたと気付く。

たしかご住職はお亡くなりになったのではなかったか。住職を追うように、まもなく奥方もお亡くなりになった、と親戚を通じて聞かされたはずだった。萱葺きの本堂は重要文化財に指定されそうになり、とても維持することができないため、本堂を売って移築してしまったと聞いた。もう、跡には何一つ残っていない、と。本堂は、買った業者がドライブインにする計画だったが、結局、収支の見通しが立たず、解体されてしまった、と。

私は、白碗の底に沈殿した茶を干した。気の利く奥方がお茶を淹れてくださる。私は注がれるお茶の緑を見ながら、にこやかに微笑むお二方には、この事実は黙っておこうと思った。







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