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2001年06月13日(水) 日々雑感:言葉を人質にとられるということ


時折訪問させて頂いている日記の中で、このような文章に出会った。

「誰にも言葉を人質にとられていないころの生活をなぞる。
そうやって僕は物語を描いてきたのだ。」

心の中のどこかの部分が軽く揺れ、そしてその揺れは静かにおさまった。
私はしばらく、その揺れの原因が判らないでいた。

***

我々弁護士は、作家と同じく、自らの言葉を商売道具にしている。

弁護士の言葉は、慎重で時間のかかる調査、地道な法的検討、他の弁護士との議論を経て、より正確で誤解のない文章を練って、初めて外部に出せるものとなる。外部に出された言葉には言い訳が出来ない。弁護士によって書かれたメモランダムや意見書は一人歩きするようになる。そして、その意見を出した弁護士にその全責任が帰することになるのだ。

この意味で、言葉は弁護士である自分自身を縛る鉄鎖の如きものである。
その事について何ら異議はない。

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私は、感性の言葉と、論理の言葉を使い分けているけれど、そのいずれも同じである。全責任は自分自身にある。

だからこそ、いずれの言葉についても、「人質」には取られたくはない。
責任はきっちり取る。だからこそ、言葉を発することを妨げるのは、許さない。
それがたとえ、どんな逆境を呼び寄せることになったとしても。

***

しばらく考えて、その「揺れ」の原因は、ここにあると思った。

最初に引用した日記の作者は、新人作家ということである。
日記の中でさえ、よく選ばれた言葉で語られていて、文章を削る事を知っているプロの文章であると判る。
私は彼の本はまだ読んでいないけれど、彼の文章のひそかなファンなのである。

リンクを直接はるのは、憚られるので、よければそっと足音を忍ばせて訪れてみてほしい。(この日記の置かれているEnpituの文芸ジャンルをご参照のこと)








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