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2001年05月06日(日) 書評:笠井潔「薔薇の女」

矢吹駆シリーズの第三弾である。

結局このシリーズを全部読んでしまったことになるのだが、どうにもこの巻は読み心地が良くない。以前に評した「サマーアポカリプス」の方が読み物として数段優れている。

この巻において笠井は、より複雑な手口が構築され、単なる利欲犯ではなく、臨床心理学的犯罪の要素を絡み合わせている。これらの組み合わせは若干ありきたりではあるが、それ自体責められるべきものではない。問題は、むしろ、プロット自体の構造に求められるべきである。

以下は、若干ネタばらしにもなるかも知れないので、これから読もうと思っている方はここまでで止めておくべきと思う。

このシリーズ第1巻「バイバイ・エンジェル」において設定された「ニコライ・イリイチ」なる人物との間の高尚な次元においての対立は、この巻においても維持されているが、この人物との対決は、より間接的で、曖昧なものに終始している。この戦略は、しかし、この小説においては二重の意味で誤っていると思われる。

一つは、この小説は、読者にニコライ・イリイチの影を強烈に感じさせる必要がある。この巻を3部作の第3作として読ませる場合も、独立の小説として読ませるためにも、この点は十分考慮される必要がある。そして、ニコライを人を魅了する圧倒的なカリスマ性を秘めた人間として描く以上、他者を通じて犯罪を実現させる場合においても、単なる利欲犯的な理由を超えた何かを描写することは不可欠である。
この巻にもっとも欠けているのは、これである。

もう一つの理由は、恐らく笠井の主要な意図の一つは、イデオロギー的対立を超えたより高次元の善悪の対立(というよりある種の悪と別種の悪の対立)を描くことにあると思われるが、この点に関する言及が、一部の直叙を除けば全くなされていないことである。「サマー・アポカリプス」においてくどいくらいに叙述されたはずのものが、今回は、その全編を通じて全く現れていない。笠井ほどの筆力のある作家であれば、特殊な類型の犯罪を通して、この点を描き出すことくらい容易のことのような気がするのだが、残念というほかはない。

続編を書くとしたら、どのように描かれるのか、その点のみが楽しみな小説であった。







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