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断片的追憶。
もはや過去の出来事と現在とを区別する必然性はない、という事実に気づきたくないながらも自覚的であったこの一年。
現在は過去の追憶の断片として構成され、それも現在に生起する出来事を目で追うといったごくありふれた仕草ではなく、 「いま何が起こったのだろうか?」という問いかけの形態でしか現れようがない、 そんな日常の前では、遥か遠い過去の事実も、ごく最近の衝撃的な出来事でさえも、全て等価である。
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旧い友人から架電。全く唐突に、会社を辞めたなどという。留学かと思いきや、慶応の経営学修士のコースをとるとのこと。
もともと会社を辞めるという計画は彼が入社した当時から聞いていた、と告げると、彼は意外と長くかかったものだと苦笑する。
銀座へ繰り出す。目に付いた地下のバーに飛び込み、ラガヴーリンを飲む。そして、彼がジンに最近凝っていると聞くや、 ボンベイ・サファイアのロックを頼む。
酒が回るにつれ、不意に私は感傷的になった。何か致命的な隠し球を、彼が持っていたわけではない。蓄えがあまりなく育英会資金を借りるので、コースが終わるころには800万円の借金ができること、 他の共通の友人が、やはり教授への道を捨てた話、教育行政学科の知り合いたちの現在の話、 等々の語らいが酩酊を早める原因になったとは考えたくない。
しかし、学生時代をともにした男が、大企業の名刺を捨て、 今私の前に座り、酒を飲んでいるというその事実は、断片的追憶として片付けられない現実の重さを持っていた。
また、ボンベイ・サファイアを飲もう。彼の前途のためのみでなく。
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