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たとえば、気が付いてみればいつもそこにあるような何気ない飾りのごときもの。
その何気なさが、「日常」というつかみ所のないシームレス(継ぎ目のない)な物体を構成しているという確かな手触り。
いまや交通事故で再起不能との情報もある岡崎京子の「リバーズ・エッジ」は、60年代70年代の価値観がすでに終わりを告げたところから出発し、「何気なさ」が変貌を遂げた80年代を通過して、 90年代の「日常」を、(従来なら日常の突破口となったはずの非日常の典型である)ショッキングな事件に対する無感動というデヴァイスで裏側からあぶり出している。
ちょうど、戦後のフランスの若者にとって、アルベール・カミュの「異邦人」がそうであったように。
「絶対に「現代人」でなければならない」(アルチュール・ランボー)のだ。
すでに非日常が日常化している現代にあって(現実は文学を後追いしている)、批評という方法論の向こうから、もはや新しい音楽は聞こえてこない。
そして、今日も日が暮れる。
BGM:SONNY STITT,BUD POWELL,J.JJOHNSON/ALL GOD'S CHILLUN RHYTHM
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