昨日・今日・明日
壱カ月昨日明日


2007年07月16日(月) 止まない雨はまた僕らをひとりぼっちにする

カウリスマキの『街のあかり』を観に行った映画館のトイレに日傘を忘れた。トイレの棚に置いたまま手に持っていないのを珈琲を買いに行っている間に思い出して、急いで取りに戻ったがもうなかった。カウンターのお姉さんは、お預かりしてません、と申し訳なさそうだったが、出てきたら連絡しますから、とわたしの電話番号を聞き、今日中にご連絡しなければ諦めてください、ときっぱりと言った。いまだに連絡がないということは出てこなかったのだろう。もうすぐ今日も終わる。
日傘を持ち帰ったひとは、明日、もし晴れたら、傘をさすのだろうか。もしそのひとを見かけても、あれは自分の傘だと、もうわたしは気づけないかもしれないな。

たぶん多くの人が、『街のあかり』の主人公の男性を、孤独な男だと言うだろうけれど、陥れられた罪で刑務所にいるその男に、そっと出した手紙をびりびりに破られてしまうソーセージ屋の女の悲しみのほうが、わたしには痛い。読まれもしない手紙を書き送ることの孤独は、壁を相手にするキャッチボールのようだ。受け止められることなく、投げたボールはもとの形でそのまま自分へ帰るだけ。

最近、観たり読んだりして、感心したもの。
京都国立近代美術館で観た『舞台芸術の世界・ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン』。『薔薇の精』と『牧神の午後』の映像記録に目を奪われ、それぞれ2回も観てしまった。
池澤夏樹『静かな大地』(朝日文庫)。どうにもならない哀しみ。
アルモドバル『ボルベール<帰郷>』。「赤」にやられる。それから、やっぱり中盤でペネロペが唄うタンゴがよい。人生の酸い甘いがわかるとより泣ける。

N700系に乗って、東京へ行く。たった2時間25分を、こんなに遠く感じてしまうのは、決して距離の問題だけではないと思う。
東京国立近代美術館に行こうとして、なぜか日比谷公園に入ってしまう。どこへ行くにも事前にちゃんと調べず、地図も持たないからこういうことになる。日比谷公園は、公園のくせにブルーシートが一枚も張ってなかった。妙に落ち着かない。雨が降っているのに、傘もささずにスケッチを続けている人が数人いる。池の絵を描いているのを眺める。池の色は緑だった。
なぜかそのまま霞ヶ関に出てしまう。お腹が空いて、仕方なく入った地下の洋食屋のオムライスは、お前には料理人のプライドがあるんか、と厨房に怒鳴り込みたいほど、不味かった。どう工夫すればあんなにパラパラでろくに味がなく油っぽいオムライスが作れるのか、膝を突き合わせて話し合いたい。二度と行きたくないが、場所も店名も覚えてないから、もう一生行けないだろう。
たどり着いた美術館は、皇居の緑が雨にうたれているのを眺めることのできるいいところだった。わたしが東京に来る時はいつも雨が降っている。今頃、大阪ではみんな働いているだろうな、と、忙しかったここ数日と放り出してきた仕事を思って、申し訳なく感じる。その日の朝、会社の先輩から、楽しんできてね!、というメールが来ていた。わたしは本当に楽しめるのだろうか。もうすでに、足と心が重いのだけれど。どうしようもなくてここまで来たくせに、何故、会うのが怖いなどと思ってしまうんだろう。

Yちゃんに久しぶりに会う。2006年1月以来。あの時、まだ赤ちゃんだったYちゃんの長女は、立派に子供になって、チャイルドシートに貼り付けられてた。車で目的地に向かう間、この1年半の間に起こった出来事をかいつまんで話す。Yちゃんの長女が、きちんとすくすくまっすぐに成長している間、わたし達大人は、なんと歪んで複雑な岩だらけの道を進んできたことか。わたしの話をほとんど黙って聞いて、そんなことがあってアンタは泣かなかったのか、とYちゃんは聞いた。わたしはずいぶん泣いた。こんなに泣いたのは、生まれてきて以来かも知れん。こんなとこに来てる場合じゃないんちゃう、と言われた。左手には横田基地が見えていた。そう、来てる場合じゃないのかも知れない。でも、わたしにとっては重要なことなのだ。とてもとても大切なことなのだ。そうなん、とYちゃんは目を手で覆って、辛いなあ、と言って、駅までじゃなくてそこまで行くわ、と、カーナビにわたしの行きたい場所の名前を打ち込んだ。その名前を見ると、なんだか少し泣けてきた。雨はずっと降っていて、道は空いていた。
いつになったら他人事じゃなく、自分の人生に実際に起きていることとして受け止められるだろう。

車に乗っている間、この道がどこまでも続けばいいと思った。果てしなく終わりなく続け。終電なんてどうでもよかったし、今いる場所がどこなのか知らなかったし、Yちゃん家に帰る乗り継ぎの方法も全然わからなかったけど、何にも不安じゃなかった。たくさん話したいことがあったはずなのに、頭がからっぽで、ふってもたたいてもつまらないことしか出てこなかった。でも、笑ってくれたからよかった。好きだと思った。あなたがたとえどんな人でも、すごい人じゃなくて普通のありきたりの人でも、わたしは絶対好きになっただろうと思った。どこの誰でもないあなたのことを、ちゃんと好きになっただろうと思った。バックミラーにうつった後姿を忘れないようにしよう。もうだめだ、と頭をかかえた時に、いつでも思い出せるように。


フクダ |MAIL

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